白石城は蒲生氏郷が会津若松城の支城として築いた城ですが、伊達政宗の右腕であった片倉小十郎景綱の居城として知られています。一国一城令が敷かれる中、特例として認められた数少ない城のひとつです。「大櫓」と呼称された天守に相当する三階櫓は明治初頭の廃城令によって壊されましたが、1995年(平成7年)に当時の姿をほぼ忠実に復元されました。戦後の木造復元天守としては高さ、広さとも日本最大級を誇ります。
白石城を訪問した1661人の報告によれば、平均見学時間は58分、平均評価は3.49点となっています。
目次
白石城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
白石城に関するデータ 情報の追加や修正
75.79 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
3重3階
16.7 m
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蒲生郷成によって文禄年間に3重3階の望楼型天守が築かれた。その後、上杉氏の支配を経て、伊達政宗が奪回した後は城名を白石城に戻し、また徳川家康への配慮から天守を「大櫓」と呼称した。この大櫓は1819年(文政2年)に焼失するが、1823年(文政6年)に片倉宗景によって独立式層塔型3重3階の三重櫓として再建された(高さ16.6m、天守台石垣9.85m)。明治初頭の廃城令により廃城処分とされ、ほとんどの建物は1874年(明治7年)に破却された。1995年(平成7年)3月には大櫓が木造復元されたが、内装は天守2階の階段に踊り場が設けられるなど当時と一部異なるが、ほぼ忠実に再現されている。
白石氏
着工 鎌倉時代
1875年(明治8年)
蒲生郷成
白石氏、蒲生氏、上杉氏、片倉氏
石垣、門(移築)、蔵(移築)
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三階櫓、門、塀
登録日:2013/11/17 17:35:45
更新日:2024/12/12 03:25:25
白石城へのアクセス情報 情報の追加や修正
益岡公園駐車場(大型車10台、普通車約200台)
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