二本松城は二本松氏(畠山氏)の居城でしたが、伊達政宗によって攻め落とされています。政宗は片倉景綱、次に伊達成実といった有力家臣を城代としていました。豊臣秀吉による「奥州仕置」以降は蒲生氏郷や上杉景勝が会津若松城に入城し、二本松城はその支城として城代が置かれました。江戸時代には丹羽長秀の孫にあたる光重が入城し、明治維新まで二本松藩主丹羽氏の居城となりました。現在は「霞ヶ城公園」として整備されており、山上の本丸には天守台が再建されています。また麓に復元された箕輪門近くには幕末の戊辰戦争でふるさとを守るために若い命を散らした「二本松少年隊」の群像があります。
目次
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二本松城に関するデータ 情報の追加や修正
345 m
内郭:-- 外郭:--
畠山満泰
着工 室町時代中期
1872年(明治5年)
丹羽光重
畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏
天守台、石垣、堀
国史跡
箕輪門、附櫓
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 345 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 畠山満泰 |
築城開始・完了年 | 着工 室町時代中期 |
廃城年 | 1872年(明治5年) |
主な改修者 | 丹羽光重 |
主な城主 | 畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏 |
遺構 | 天守台、石垣、堀 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 | 箕輪門、附櫓 |
更新日:2024/03/19 14:45:10
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 無料 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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