水戸城は徳川御三家のひとつ水戸徳川家の居城です。御三家の居城であったにもかかわらず、尾張藩の名古屋城、紀州藩の和歌山城に比べるとかなり質素な城でした。現在、城跡は二の丸・三の丸付近が整備されており、土塁・空堀が現存しています。また、三の丸があった場所に水戸藩藩校であった弘道館が現存しており、見学することができます。旧本丸にある県立水戸第一高等学校に移築されている薬医門も見ておきたいです。
目次
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水戸城に関するデータ 情報の追加や修正
28.4 m( 25 m)
内郭:-- 外郭:--
3重4階、地下1階
佐竹時代に天守代用とされた三階物見櫓は1764年(明和元年)に焼失した。その後、1766年(明和3年)に再建した御三階櫓を水戸藩は引きつづき天守の代用としたが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失した。
馬場資幹
着工 建久年間(1190年〜1198年)
1871年(明治4年)
佐竹義宣、徳川頼房
大掾氏(馬場氏)、江戸氏、佐竹氏、徳川氏
門1棟、藩校、土塁、空堀
県史跡、特別史跡(旧弘道館)
大手門、二の丸角櫓
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 28.4 m( 25 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 独立式層塔型 |
天守の階数 | 3重4階、地下1階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 佐竹時代に天守代用とされた三階物見櫓は1764年(明和元年)に焼失した。その後、1766年(明和3年)に再建した御三階櫓を水戸藩は引きつづき天守の代用としたが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失した。 |
築城主 | 馬場資幹 |
築城開始・完了年 | 着工 建久年間(1190年〜1198年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 佐竹義宣、徳川頼房 |
主な城主 | 大掾氏(馬場氏)、江戸氏、佐竹氏、徳川氏 |
遺構 | 門1棟、藩校、土塁、空堀 |
指定文化財 | 県史跡、特別史跡(旧弘道館) |
復元状況 | 大手門、二の丸角櫓 |
更新日:2023/12/10 03:23:43
水戸城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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