別名 桂城
お知らせ
笠間城は笠間氏の居城として知られています。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に笠間綱家が北条氏についたため、滅亡させられました。その後、いったんは宇都宮氏が支配しましたが、のちに蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されました。現在も確認できる石垣遺構はこの時代のものと考えられています。蒲生氏以降も松平、小笠原、永井、浅野、井上、本庄などの諸氏が入れ替わり城主をつとめ、1747年(延享4年)から廃藩までは、牧野氏代々の居城となりました。ちなみに忠臣蔵で有名な浅野氏は、ここから赤穂藩に移っています。関東地方では珍しい本格的な石垣がある城で、石垣以外にも堀などの遺構を確認できるほか、建造物の遺構として、本丸八幡台上にあった八幡櫓が真浄寺に移築され現存しており、また薬医門形式の城門2棟が、市内の民家に移築され現存しています。
目次
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笠間城に関するデータ 情報の追加や修正
205 m( 130 m)
内郭:-- 外郭:--
2重
『常盤国笠間之城絵図』(正保城絵図)では天守曲輪にその姿が描かれているが、具体的な外観や構造は不明。廃城後、解体された用材は、笠間城天守台に所在する佐志能神社の拝殿に使用されている。
笠間時朝
着工 1219年(承久元年)
1868年(明治4年)
蒲生郷成
笠間氏、宇都宮氏、蒲生郷成(3万石)、牧野氏(8万石)
空堀、石垣、土塁、井戸、移築櫓、門
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 205 m( 130 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | 2重 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 『常盤国笠間之城絵図』(正保城絵図)では天守曲輪にその姿が描かれているが、具体的な外観や構造は不明。廃城後、解体された用材は、笠間城天守台に所在する佐志能神社の拝殿に使用されている。 |
築城主 | 笠間時朝 |
築城開始・完了年 | 着工 1219年(承久元年) |
廃城年 | 1868年(明治4年) |
主な改修者 | 蒲生郷成 |
主な城主 | 笠間氏、宇都宮氏、蒲生郷成(3万石)、牧野氏(8万石) |
遺構 | 空堀、石垣、土塁、井戸、移築櫓、門 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/12/11 03:28:17
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 無料(30台) |
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