別名 亀城
土浦城は小田氏配下の菅谷氏の居城として知られています。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に菅谷範政は北条氏と結んだため、佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、主君小田氏とともに滅亡しました。徳川家康の関東移封後は、土浦を次男で結城氏に養子入りした結城秀康に与えられ、秀康が北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が入りました。信一とその子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったと考えられています。その後、西尾氏、朽木氏、土屋氏と城主が入れ替わりましたが、1687年(貞享4年)に土屋政直が入封して以降は土屋氏が11代、約200年間世襲して明治維新を迎えました。城址は亀城公園および土浦市立博物館として整備され、太鼓櫓門と霞門が現存しています。また、2011年(平成23年)に起きた東日本大震災の影響を受け、太鼓櫓門、東櫓、西櫓とすべての建造物が破損しましたが、元通り修復され、現在は一般公開されています。東櫓内部を博物館の入館券(入館料105円)で見学できます。
土浦城を訪問した1594人の報告によれば、平均見学時間は48分、平均評価は3.27点となっています。
土浦城は土浦藩の藩庁です。
目次
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土浦城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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