寺池城は葛西氏の居城として知られています。1590年(天正18年)の「小田原の役」に葛西晴信は参陣しなかったことから「奥州仕置」で葛西氏は所領没収・改易となり、木村吉清・清久父子に与えられました。寺池城には吉清が居住しましたが、葛西・大崎一揆が起こり、その責任を問われて木村家は改易となりました。その後は伊達政宗に与えられ、家臣の白石宗直が移り、明治維新まで白石氏(登米伊達氏)が支配しました。現在城址は裁判所や宅地化されており遺構はありませんが、城下町の町並みは当時の面影が残っています。
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【7/6〜9/8、宮城県登米市】登米懐古館で企画展「みちのくの侍伊達なあしどり」開催 - お城ニュース by 攻城団
現在、登米懐古館(宮城県登米市)において企画展「みちのくの侍伊達なあしどり」開催中です。9月8日(日)まで。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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