弘前城
弘前城

[青森県][陸奥] 青森県弘前市下白銀町1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.86(20位)
  • 見学時間:1時間38分(11位)
  • 攻城人数:2610(51位)

三の丸追手門

三の丸追手門は、1611年(慶長16年)の築城当初から現存する門で、現在は弘前公園のメインゲートとして利用されています。

脇戸付櫓門、銅瓦葺のこの門は重要文化財に指定されています。

史跡 津軽氏城跡 弘前城
史跡指定 昭和二十七年三月二十九日
 
 弘前城は、津軽藩主代々の居城で 慶長十六年(一六一一)に二代藩主津軽信枚(のぶひら)によって築かれた城である。
 面積約四十九万二千平方メートル(約十四万九千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭よりなり三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
 現在城跡には、天守閣をはじめ隅櫓三棟、城門五棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。

重要文化財 三の丸 追手門
建築 年代 慶長十六年(一六一一)
二代藩主 津軽信枚
指定年月日 昭和十二年七月二十九日
棟高  十一.七メートル

 弘前城には、築城当初十棟の城門があったとさているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。
 弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の櫓門であるが、門の前面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、一層目の屋根を特に高く配し 全体を簡素な素木(しらき)造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。
弘前市

史跡 津軽氏城跡 弘前城
史跡指定 昭和二十七年三月二十九日

 弘前城は、津軽藩主代々の居城で慶長十六年(一六一一)に二代藩主津軽信枚(のぶひら)によって築かれた城である。
 面積約四十九万二千平方メートル(約十四万九千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭よりなり、三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
 現在城跡には、天守閣をはじめ隔櫓三棟、城門五棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。
重要文化財 三の丸追手門
建築年代
慶長十六年(一六一一)
二代藩主津軽信枚
指定年月日
昭和十二年七月二十九日
棟高
十一・七メートル
 弘前城には、築城当初十棟の城門があったとされているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。
 弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の櫓門であるが、門の前面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、一層目の屋根を特に高く配し、全体を簡素な素木(しらき)造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。弘前市
   

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猛将妄想録 1 (電撃ジャパンコミックス)

いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

こうの)

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