三の丸追手門は、1611年(慶長16年)の築城当初から現存する門で、現在は弘前公園のメインゲートとして利用されています。
脇戸付櫓門、銅瓦葺のこの門は重要文化財に指定されています。
史跡 津軽氏城跡 弘前城
史跡指定 昭和二十七年三月二十九日
弘前城は、津軽藩主代々の居城で 慶長十六年(一六一一)に二代藩主津軽信枚(のぶひら)によって築かれた城である。
面積約四十九万二千平方メートル(約十四万九千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭よりなり三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
現在城跡には、天守閣をはじめ隅櫓三棟、城門五棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。重要文化財 三の丸 追手門
建築 年代 慶長十六年(一六一一)
二代藩主 津軽信枚
指定年月日 昭和十二年七月二十九日
棟高 十一.七メートル弘前城には、築城当初十棟の城門があったとさているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。
弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の櫓門であるが、門の前面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、一層目の屋根を特に高く配し 全体を簡素な素木(しらき)造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。
弘前市
史跡 津軽氏城跡 弘前城
史跡指定 昭和二十七年三月二十九日
弘前城は、津軽藩主代々の居城で慶長十六年(一六一一)に二代藩主津軽信枚(のぶひら)によって築かれた城である。
面積約四十九万二千平方メートル(約十四万九千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭よりなり、三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
現在城跡には、天守閣をはじめ隔櫓三棟、城門五棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。重要文化財 三の丸追手門
弘前城には、築城当初十棟の城門があったとされているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。
- 建築年代
- 慶長十六年(一六一一)
二代藩主津軽信枚- 指定年月日
- 昭和十二年七月二十九日
- 棟高
- 十一・七メートル
弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の櫓門であるが、門の前面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、一層目の屋根を特に高く配し、全体を簡素な素木(しらき)造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。弘前市