お知らせ 詳細
機種名 | OLYMPUS IMAGING CORP. E-M10 |
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ISO | 800 |
F値 | 3.5 |
ホワイトバランス | オート |
シャッタースピード | |
レンズ焦点距離 | 14.0 mm |
フラッシュ | フラッシュ未発光、オートモード |
露出モード | マニュアル露出 |
露出時間 | 1/60 |
画像方向 | 水平(標準) |
史跡 津軽氏城跡 弘前城
史跡指定 昭和二十七年三月二十九日
弘前城は、津軽藩主代々の居城で 慶長十六年(一六一一)に二代藩主津軽信枚(のぶひら)によって築かれた城である。
面積約四十九万二千平方メートル(約十四万九千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭よりなり三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
現在城跡には、天守閣をはじめ隅櫓三棟、城門五棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。重要文化財 三の丸 追手門
建築 年代 慶長十六年(一六一一)
二代藩主 津軽信枚
指定年月日 昭和十二年七月二十九日
棟高 十一.七メートル弘前城には、築城当初十棟の城門があったとさているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。
弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の櫓門であるが、門の前面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、一層目の屋根を特に高く配し 全体を簡素な素木(しらき)造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。
弘前市
#津軽為信
弘前文化センターの前にあります。
写真の真ん中あたりの白いところから上が現存天守。
のぼってもそれほど見える景色が変わらないんだけど、いちおうみんなのぼってた。
手前は外濠ですが凍ってます。
第40回「弘前城雪燈籠まつり」でライトアップされた天守。
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10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
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