菱の門から入ってすぐ左手に中村重遠(なかむらしげとう)大佐の顕彰碑があります。
中村重遠大佐は廃城令による姫路城の解体を阻止した人です。
高知藩宿毛出身の陸軍大佐である彼は、1878年(明治11年)12月26日に陸軍卿山県有朋に対して名古屋城と姫路城の保存を訴えました。
いま姫路城があるのは中村大佐のおかげといっても過言ではありません。
(名古屋城は残念ながら第二次大戦中の空襲によって焼失しました)
姫路城と中村大佐
日本古来の城郭は兵器の発達にともなって、無用のものになり、明治6年(1873年)のはじめ、太政官は全国の城郭125の廃棄を布達し、姫路城など56の城が残されました。しかし、その後各城とも腐朽がはなはだしく、姫路城も取りこわしのため、市内の神戸某氏が23円50銭で落札したほどでした。
陸軍省第四局長代理中村重遠大佐は、先人の築いた名城はぜひ後世に残さねばならぬと考え、陸軍卿山県有朋を説いて、名古屋城と姫路城は陸軍の費用で修理することになりました。
中村大佐は、明治17年(1884年)45歳で亡くなりましたが、文武に達した古武士風の人だったといわれています。Himeji Castle and Colonel Nakamura
With the abolition of the feudal system, old castles became obsolete. In 1873 the Meiji Gavernment ordered 125 castles should be torn down or burned down. Only 56 castles in-cluding Himeji Castle survived. A lot of money was required for preservation. Himeji Castle was in disrepair. Finally Himeji Castle was put up for auction and a Mr. Kanbe made a successful bid for it with ¥23.5.
Colonel Nakamura suggested to the govern-ment that the castle should be preserved regard-less of the cost. Thanks to him the castle was saved.
He passed away at the age of 45. He is said to have been expert in both the pen and the sword.
そもそも姫路城はいったんは競売にかけられて、23円50銭で落札されたのですが(城の瓦や釘を再使用するつもりで落札されたそうです)、落札者が(うまく再使用できないことがわかったため)その権利を放棄してしまったそうです。
いま姫路城が残っているのはほんとうに奇跡的なことなんですね。