姫路城の天守は明治、昭和、平成と過去3回の大規模な修復工事が行われています。
明治の大修理
1873年(明治6年)の廃城令によって日本の城の多くがもはや不要であるとして破却されましたが、そうした明治時代初頭の大変革が一段落付いた1877年(明治10年)頃には、日本の城郭を保存しようという動きが見られるようになっていました。
姫路城も陸軍において建築・修繕を担当していた中村重遠工兵大佐の働きかけによって、大小天守群・櫓群などが名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられました。
(残念ながら名古屋城はその後、戦災で焼失します)
その後も応急的な修理は施されたものの、予算が確保できなかったため、本格的な修理は1910年(明治43年)まで待たされることとなります。
この「明治の大修理」は国費9万3千円が支給されて行われ、大天守は残りの小天守(東小天守・西小天守・乾小天守)とともに第一期工事で修理されました。工事入札は中村祐七が当時の額5万6900円で落札したそうです。
しかし、明治の大修理では天守の傾きを根本的に修正するには費用が足りず、傾きが進行するのを食い止めるに留まっています。
昭和の大修理
昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れています。
1935年(昭和10年)2月から太平洋戦争をはさんで1964年(昭和39年)まで行われた「昭和の大修理」において、天守は第二期工事で修理されました。一般的に昭和の大修理と呼ぶ際は、このときの修理を指しています。
1956年(昭和31年)より天守大修理に着手し、天守全体に巨大な素屋根を掛けて解体・修復工事が行われました。このときの素屋根には姫路城より先に解体修理が行われた松本城で使われていた素屋根の丸太も再利用されたそうです。
また、天守を解体した時、これを支えていた東西の「心柱」のうち、西の心柱が芯から腐って再利用不能であると判断されたため、新しいものに交換されています。
(以前の心柱は「旧西大柱」として城内に展示されています)
なお昭和の大修理における天守の工事費は約5億3,000万円でした。のべ25万人の人員と戦前修理分の費用を物価換算して戦後の費用と合計すれば、約10億円(1964年当時の価格)に相当すると考えられています。
平成の大修理
「平成の大修理」(工事正式名称は「国宝姫路城大天守保存修理工事」)は、2009年(平成21年)6月から2015年(平成27年)3月にかけて行われました。
なお、「昭和の大修理」ほどの規模ではないため、「平成の修理」と記載されることもあります。
総事業費は約28億円(素屋根工事費12億6千万円、補修工事費15億4千万円)で、施工は鹿島建設・神崎組・立建設JVによって行われました。
工事着工は2009年(平成21年)10月9日、工事用素屋根の解体・撤去が終了したのは2014年(平成26年)10月8日でした。工事内容としては、瓦の全面葺き直し、壁面修理のほか構造補強が行われ、鯱も新調されました。
天空の白鷺
「平成の大修理」の工期中は「天空の白鷺」(英語表記:"Egret's Eye View" at Himeji Castle/Special visitor facilities for the restration)と名付けられた大天守を覆っている素屋根の施設から大天守上層部の修復作業を見学することができました。
大天守最上層の屋根と、5階(最上階)を真横から見れるため、屋根瓦の葺き直しと漆喰の塗り直しといった作業を間近で見ることができました。
2011年(平成23年)3月26日の一般公開開始から、2014年(平成26年)1月15日の公開終了まで、のべ入館者数は184万3406人でした。