片桐且元

片桐且元()さん 武将   フォロー

出生地 明智町(大正村) 明智光秀の出生地とほど近く、幼少期の遊び場は光秀ゆかりの八王子神社。5才で小里城や一日市場館址のある瑞浪市に転居。今もそこが親の住む地。化石が多く採掘される地に育ち幼い頃から、ゲンノウとたがね持参で採掘。現在化石コレクション多く、その頃から他の石という石が大好き。歴史が大好きな子どもで、中学生の時、自転車で市内の城址や史跡の写真を撮り調べたことをレポートしたのが金賞を受賞。高校は大井城址であった恵那高校に行き、大学は、これまた八王子城址に建てられた東京造形大学で彫刻を学ぶ。そこでも石を彫ったりしてた。大学卒業し結婚して尾張に転居。現在に至ります。片桐且元の末裔という家系図あり。半分信じる。

片桐且元さんが過去に回答した読者投稿欄のお題

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片桐且元

かなり遅れてだと思いますが、僕もひとこと。
プロフィールでも語った通り、生まれて行く先々城址や歴史と関係深いところが多く、また親が歴史の月刊本や歴史の辞典など買い与えてくれて、歴史に興味を持っていったということが大きい。
そして、歴史に関することで即答したりすると、親や先生、友達からも一目置かれたり、ほめられたり、そうすると、もっともっと色々調べてやろうかと欲が出てきて、気がつくと調べたり、試したりということが日常的になっていた。
お城好きになったのは、まわりの環境によるところが大きいです。
人、土地、時代……全てに感謝したい気持ちです。
精神的にめげることがあっても、一種の逃避かもしれませんが、お城の事調べたり、歴史の大きな流れの中に自分を投入すると、嫌なことがどうでもよいちっぽけな事に思えて、元気になるから。マジで!

片桐且元

このお題も、遅ればせながら……
1 . 車……どこでも行っちゃう、どこでも寝ちゃう、どこでも休憩、どこでも攻城作戦会議(一人で) 足代わり、ホテル代わり。快適移動空間、どこでもドア(CMではありませんが)
2. シュラフ(寝袋)……翌日の攻城、快眠から……
3. スマホ(カメラ) 、デジカメ、タブレット……写真撮影、アップ、攻城記録記入、同志の皆様の活躍から元気、勇気、力をいただく為、家族、友人、彼女(?)、職場との連絡の為。新聞もデジタルで契約、読んでます。
4. 保冷ボックス大、小……毎日、コンビニで氷入れ替え、食品、おみやげに買った野菜とか、飲み物とか入れる為。
5. 着替え、タオル、洗面用具……遠征だと、数日に及ぶ事があるため。
6. 自分が描いた復元予想図や、攻城予定、白紙の用紙をはさんだバインダーと筆記具(主に鉛筆、消しゴム)……恥ずかしながら、どんなに、スマホとかに頼ってお世話になっていても、おじさんは鉛筆で紙にシュッと書く、描く時の感触から遠ざかる訳にはいかないのです。
7. 城関係、歴史関係の本……遠征に行くとき、書斎の本棚から、欲張って、本を何冊も持って出かけるのです。持ってるだけで安心?……時々、これがめっちゃ役にたつのです。
8. 今回、沓掛城を攻城して、雑草の種だらけになり、大変なことになった経験から…………草の種取り用スポンジ、これが7つ道具に新たに加わり、8っつ道具になりました。

片桐且元

他の城との関係を総合的に捉えようと思い始めた時。その城だけではなく、その回りの城との関係を、地理的、戦略的、時間と空間の座標軸の中で捉えようとした時、初心者ではなくなるのでは。

片桐且元

理想の上司となると、僕は前田利家公を選びます。常にナンバー2でしたが、それは非凡の証。そして先を見通して、そのための手を打って⁉️自分だけでなく、子どもや孫にまでもつながる、「その時」を悩みながらも的確に考えている。会社で言えば、部下や、さらには新しく入ってくるであろう社員をどのような方向へ持っていけばよいか、会社のおかれた位置を、経済界にじゃがいもの中で見極めれる、前田利家公。それでいて、義理も大切にして、どうしてもそれを乗り越えなければならないときは、自分は退いて後身に委ねる、しかもその後身に丸投げではなく道筋をつけて出来るように最大限用意してから。そんな前田利家公は上司として一番です。我ら部下はその上司の背中をみて駆ける。

片桐且元

米沢城の山形市上杉博物館。上杉鷹山の素晴らしい、民の為の政策や思想、それがどの流れによって彼の中で育まれていったか、政策の具体的な内容を模型や説明板でわかりやすく説明してあり、ますます鷹山公の偉大さに感嘆できること請け合い。上杉家の流れ、直江兼次の事、説明詳しく、戦場で使った逸品、上杉家所蔵の屏風絵の展示等、目を見張るものがありました。尚、米沢城に行く前に、謙信公の春日井山城によったり、鷹山公に関しては、藤沢周平の小説「漆の実のみのる国」を読んだので、より深く味わうこと、理解することができました。それと、新潟は燕市の資料館に、三河の細井平州先生が鷹山公に教えた考えがよくわかる資料を見た直後だったので、余計上杉博物館の展示が迫ってきたのであります。

片桐且元

同じ対象でも様々な視点で、できうる限り沢山撮る。人間の目だけではなく、石垣の石、敷石、石段の石、建築物の床の床板、板張りの塀、できうることならば、鳥や昆虫、悔しい思いを残して去っていった過去の人達、人間の目だったら、攻める兵士の目、守る兵士の目、などなど……とにかく立ったり座ったり、寝転んだり、ほふく前進したり、転げ回ったり、色んな物に頬擦りするくらいの覚悟で。そうすると、見えなかったものが見えてくることもある。復元確認がめっちゃ好きな僕には、この色んな視点での撮影は必須です。

片桐且元

まず、団長の攻城団に対する姿勢かな。
最初の頃、失礼ですが、なんて窮屈なところかな……なんて思ってしまったほど、自由にものが書けない、という思いがありました。懲りん星から来た口先星人のように、しゃべりまくり、書きまくる僕は、何度となく団長に注意を受け、しまいには団長に逆に食ってかかるほどの失礼をしてしまったこともあります。その都度、警告を受けると共に、僕というパーソナリティーは、もっと別の場所で発揮したは方が……との指摘等、優しさ(僕にとっては)も同時に感じ感謝しつつ、団員を続けさせていただきました。そして、一年前とは、確実に違うシステム、最近の一言など、もちろんお城に関しての事が望ましいと言われても、結構自由に語らせてもらえる場や、攻城記録の公開用、非公開用の欄を分けてつくっていただいたり、団長の努力を感じ、その姿勢が魅力です。
やっと、一年たち、この攻城団の本来の目的とかがわかってきたかな……という僕は、よく強制退団させられなかったな……という位、失礼ばかりしてました。なので、団長の努力よくわかります。なんていうのは、おこがましいというか、もっと失礼か。
もうひとつの魅力。様々な攻城の仕方の人が、それぞれ楽しみながら、そして集まれる場である、この攻城団、色々な楽しみ方を知り、そしてそれも共有できる。歴史的な話しも、駐車場などの直接、すぐに役に立つ情報も団員の経験知識から共有でき、新しく仲間に加わる人も同じくで、ありがたく、そして楽しい!
最初に述べた事にも繋がりますが、色んなルームも用意していただき、自由に参加も出来、この攻城団なくしては、人生の後半生は語れなくなるでしょう。僕にとって。

片桐且元

このお題も遅ればせながら……僕のお気に入りは清洲城にある、この織田信長公と濃姫の彫刻です。この二つを群像として、ひとつの作品として捉えたいです。銅像(彫刻)の作者は、信長公と濃姫で違いますが、信長公を支え続けた妻として、また今の大河ドラマを見てて、濃姫がいないと信長公はどうなっちゃうの?なんて心配もおきてしまうような、ずっと信長公の真意、そをみようと眼差しを向けている、気持ちも向けている濃姫を感じ、この距離感と空間と彫刻の絶妙なバランスを、信長公の彫刻の後から濃姫の彫刻を作った作者が思いながら制作した逸品、そして二つが融合して見事な群像となっていると思います。
後から(作者が亡くなってから)わかったのですが、美大で彫刻を学んだ僕のごく初期、高校生から浪人生にかけてお世話になった、多治見市の斎藤二郎先生が濃姫の作者ということで、特別な思い入れもあります。

片桐且元

遅ればせながら。犬山城です。特に木曽川、もしくは木曽川越しから望む、夕暮れのシルエットに近い犬山城。その場を立ち去りがたくさせます。添付の写真のようなイメージで、もっと上手く撮れれば良いのだけど……ね。攻城した所の中では犬山城が一番です。

片桐且元

西軍です。西軍から徳川家康を調略して、または、難題突きつけて右往左往させ、戦いそのものをなくしてしまいたいです。後に家康に右往左往させられ、裏切り者という間違ったレッテルを張られた片桐且元公の為にも。

片桐且元

長宗我部元親                               きっと来年の麒麟がくるでも登場シーンはあるだろうけど、天下を統一出来る素質を持っていた武将で、個人的にもとても好きな武将なので取り上げていただきたい。
戦わずして勝つような策略も好き!
思いっきり戦ってもいますがね。

片桐且元

伊賀上野城ー上から下をのぞき込むとオシッコちびっちゃう位高い高石垣ということが、団員の皆さんの写真や、資料から伝わってきて、石垣だけでも凄いぞと前々から思っており、行きたい城でもある。東堂高虎の傑作石垣。なんと30メートル近くあるというからビックリ!それでも全国2位だって。1位は大阪城の33メートル。でもこの石垣も高虎さんの作品(と言っていいのか?)なのであっぱれです。
松坂城ー蒲生氏郷が城下町松坂ごと整備したというから、ここを忘れてはいけない。写真、資料から美味しそうな(?)石垣が遺っているようなので、行きたい!
田丸城ーここは南北朝の頃の古い城だと聞いていたけど、この三重県のお城というお題で調べていたら、なんとなんと、良さそうな石垣が待っていてくれるみたいなので、行きたい!
全部、石垣がらみですみません。それと自分が行きたい城が三重県を代表するお城のこたえになっちゃいました。

片桐且元

いずれも、石垣しか現存してない、村上城、小諸城、岩村城など選びたいけど、規模とメジャーということも考え合わせて、この二つの城に並ぶにふさわしいのは、肥前名護屋城かな。
よって、肥前名護屋城を選ばせていただきます。ちなみに肥前名護屋城図屏風に描かれている天守閣は白壁のようだけど、果たして実際は?黒壁だった可能性も否めないのでは?

片桐且元

まず津山城。復元された備中櫓以外は石垣しか残ってないけど、これが凄い!麓から本丸の石垣まで、驚くほどの高低差がある。CG復元された津山城を見てびっくり!建物が連なり連なり、どんなけーっ!という感想です。多分日本の城の中でも建造物の多さでは一桁代じゃないだろうか。石垣だけでもいいな…と思うけど、新しい時代を作ることは素晴らしいだろうけど、明治に政府の意向で全部建物壊せとは、正気の沙汰とは思えない!いくら復元できるとはいえ、それはあくまでも復元。壊したものは元には戻らない。戦争も憎む。この時期特に思うが、戦災でどれだけ貴重な城が失われたか。日本人がしたことを棚に上げてなんだけど、アメリカは自分の国の捕虜たちも殺してるんだよ。話がそれました。すみません。
でも、その話は二つ目の城にもつながります。二つ目は岡山城。豊臣の恩顧の宇喜多秀家の城らしい烏城。黒い!不等辺三角形のユニークかつ美しい復元天守閣。戦災にあうまでは現存してたんだね。後楽園、これが日本三大庭園の一つというくらいだから、素晴らしい。
三つ目は言わずとしれた備中松山城。まだ行ったことはないけど、サンジューロー城主もいらっしゃり、今や時の城。
そして、こうして戦いの為につくられ、戦いで壊され、必要ないと上から命令により消えていった城に、今我々が行って感激したりできること、平和の大切さをつくづく感じます。

片桐且元

信州越後の攻城戦で転戦中、夕方たどり着いた小諸城。本日はここまで、明日は上田城からと計画を練り、ここは一つ、信州そばの食べ比べをしてみようと思った。小諸城下、製粉業を創業してから200年という、丁子庵(チョウジアン)というそば屋の手打ちそばをいただいた。細くてなめらか、のどごしが良い。浅間高原で自家栽培しているというそば粉を使い、もともとは製粉業なのでそば粉のなんたるかを知り尽くしたようなそば。
平日の閉店近くということもあり、落ち着いて味を楽しんだ。
その後、別所温泉につかり、真田の方々に思いを馳せ(この湯に浸かったこともあるだろう事… 次の日は一番に上田城へ。お昼は上田城下、刀屋に行き田舎そばをいただいた。刀屋は色々なイベントをやってたり、結構有名なおそば屋さん。 平日だけどお昼なのでめっちゃ混んでたけど、田舎そばはうまかった。座って食べたのだけど、立ち食い的なイメージもあり、なんだかせかされているよう。だけどそれもよく、このそばにあってる!と文句なし。
結局、前日の小諸城下とここ上田城下では食べたそばの類も違い、雰囲気、気温、そのほか諸々の条件で単純な食べ比べにはならず、どちらも星五つ!
と…いうことで、信州城下町のお勧めグルメは誰でも思いつくでしょうが、信州手打ちそばですっ!

片桐且元

山形城
霞城(カジョウ)公園として整備され、復元であるが、高麗門など多くの建造物のかっての姿を戻そうと努力してる。あの最上義光公が今の形の基をつくられたようで、その最上義光歴史館など資料館も充実してるようだ。

長谷堂城
ちょっと見は春日山城のように山城のようだが、山城は山城でも、小ぶりながら惣構え、横堀などニュータイプの山城だという。防御力大で、直江兼続も落とせなかったはずだ。

米沢城
今や、神社としての知名度が高く、実質本丸のほとんどは上杉神社。ここは実際訪れたことがあるので、えっ?これが城?という感じです。しかしながら、伊達政宗の出生の地でもあり、移封後の上杉家の本拠地で、上杉謙信公も連れてこられてる場所。(もちろん遺体で…)
小説漆の実の実る国でも描かれているように、上杉鷹山公の質実なやり方そして城も天守閣もなければ石垣もなく、およそ城とは思えないかもしれないが、名君鷹山の上杉家ならではの城らしく、自分的には、他の大天守閣をもった城よりも好きである。その根底に流れているものが。

片桐且元

フォロー機能 攻城記録や最近のひとこと、城攻めの仕方を拝見してると、その人がどんな人か、魅力ある人だな! 尊敬するなぁー! その人についていくと俺も元気になるぞ!という団員をフォローして、漏れなく情報を受け取る。自分のタイムラインにすぐ入ってくるので、彼(彼女)はいわば家族のような存在。(勘違い野郎?) ともかく、元気をもらえ、自分の攻城意欲がますますかきたてられます。〇〇姫様、ありがとう!……とこの機能は素晴らしいです。

片桐且元

ごめんなさい。もともと知っていた城で千葉県のものといえば、佐倉城しか思い浮かべられません。勉強不足で、その他の千葉城、館山城、万喜城、坂田城など、良さそうな城が意外と(というと大変失礼ですが)あるようですが、責任をもって薦められるのはこの城しか今のところわからないので、佐倉城一城とさせていただきます。僕は幕末の古写真マニアでもありまして、この城の大手門や一ノ門、さらに銅櫓など様々な建築物があったのを証拠として古写真で確認しておりますので、この城は千葉県を代表する城として選びます!

片桐且元

石垣は建物が焼失したり、崩れ去ったりしても、意図的に破壊されない限り残りやすい。それゆえ、生きた証人として、我々にその城の事、そして今日までの物語を語ってくれる。風雪に耐え、あるものは地下でじっとして、あるものは自然との共生で独り歩きを始めながら、しかして、機会があれば我々に多くの事を伝えてくれる。ただし、ただ対峙するだけではダメで、耳をすまし、目を凝らし、指で愛撫し、全身を使って対峙する。音の分子、色、光の分子が触覚としての耳、目に作用し、実際触れることで最高潮に達した感覚は、石たちの言葉をより完全に受けとる事が出来る。
前置きが長くなりましたが、石垣の魅力が感じられる城址は沢山あるようですが、実際に行った事のある城で、直接石たちと話をした城でしか責任をもってお勧めできないので、二つですが挙げます。
一つは言わずと知れた安土城。信長公の最後で最高の傑作。小牧山城をエスキースとして安土城が完成された。あくまでも個人的な意見、しかも城を美術作品みたいに言ってますが、仕事柄お許しを。史上最高傑作と個人的に思い込んでる。石垣石段、近年復元整備が目覚ましく、しかも琵琶湖近くで、ここはお勧め。
もう一つは、僕が最近行ったばかりの金沢城。
石垣の博物館の異名があるくらい、色々な時代の石垣が現存しており、1日あっても足りない。
おっと二つと冒頭で述べてしまったけど、三っつ良い?
一つ大事な城址を忘れてました。自分が攻城した城址の中で。
村上城!自然との共生が素晴らしく、ここは良い。なんとも石垣の色合いが美しい。
あと七尾城や、観音寺城、津山城、大阪城、挙げたら切りがないです。
ですので、もっともと言うのなら安土城、もっとものうちの三っつが許されるのなら、あと金沢城、村上城です。

片桐且元

京都府といえば、二条城。攻城団のお膝元。団長講師の、めっちゃ……の講座、めっちゃ行きたかった! 以前は二条城は御殿しかないと思い込んでた。いやいや、全貌を知ると、すごいお城だなーって思います。
あと、伏見城、明智光秀の福知山城で3つです。

片桐且元

これも、知識だけではなく、実際に行った城でないとオススメ……と言えない、かな?という考えで、団員の皆さんの攻城記録、お写真を拝読、拝見させていただくと、もっと最適な、素晴らしい城はあると確信できますが……
との、前置きをしておいて、先週攻城したばかりで、今はまっている、マイブーム、寝ても覚めても夢を見る(ん?、夢は寝てる時だけか?)
沓掛城址です。自分が攻城した城で、信州の春日城は凄かったし、高遠城も美しく、規模も大きく、越後の上杉謙信公の春日山城の土累、切岸には圧倒されましたし、これも越後は高田城も素晴らしい土累の城、空堀ではなく、でっかい水掘でしたが。
四国の岡豊城も大好きです。長曽我部元親公好きな僕にとって、その遺構の全てがオススメ、もちろん土累も素晴らしい!
それと比べると、この沓掛城は城址公園として整備された、コンパクトな普通の公園のように思われて、「なんで、それがもっともオススメなんですか?」と言われそうですが、何を言われようが、断然この沓掛城です。季節的に悪かったのか、空堀等草ボーボーで、わかりにくく少し残念でした。きれいに草刈りしてもらってる時期の、他の団員の方の沓掛城のお写真を拝見させていただくとはっきり、形がわかるんですけど……
そう! わかりやすい土累、空堀、しかも当時のまま残っている箇所が多く、土累の形がまさに造形的、見てて飽きませんし、一回見てそんじゃさよなら!……ということにならなかったです。(自分は)
それが他のもっと有名で素晴らしい城があるのにもかかわらずここ沓掛城をオススメする理由です。
このコンパクトだけど規模としては大きく、この時代の総堀に囲まれた本丸形式の城の分かりやすい、いわば、生きた証人ではないでしょうか。ここは。
自分が復元確認にはまっている、尾張岩倉城の復元予想図と、全くよく似ていて、大手門前の土橋、堀の形状、沓掛城のイメージを移入して、もっとリアルな妄想にはまってます。 長く、わかりにくくなったかもしれませんが、そういう理由で、沓掛城です。
投稿後、皆さんのこのお題の回答を読んでて気づいた。我が身を寄せている小牧山城こそ土累が素晴らしい!灯台元暗し……普段の生活の中に浸透しきってて上げなかったですが、それが頭にあっても、沓掛城をオススメすることに、何の異存もありません。

片桐且元

実際に訪れて、責任をもって推薦するのが良いのですが……
残念ながら、僕は四国に関しては、高知県と徳島県しか攻城で訪れたことがなく、実際には訪れてはいませんが、評判として、
  1.松山城……現存十二天守閣、日本3大名城、  天守閣だけではなく、登り石垣とか、さまざまな素晴らしい技法を駆使した石垣があり、石垣の名城でもあるそうです。
  2.宇和島城……現存十二天守閣
  3.……ここは、今治城か大洲城と普通では悩むところでしょうが、僕は自分の趣味として、ぜひ湯築城を推薦したい。ひょっとしたら団長のご先祖?……伊予国の有力大名河野氏の城として有名だが、現在は道後公園として整備されているらしい。現存している城は異論なく素晴らしいが、想像力を発揮しないといけないような、発掘調査中、そして土累や空堀だけが残ってて……また復元できるところがある、そんな城址が大好きなので、本当は松山城より上に湯築城を愛媛県を代表する城として推薦し、自分も行ってみたいです。
ということで、上述1から3の城を推薦します。

片桐且元

前半生が何もわからないらしいけど、多分不遇な時期が長かったのではないだろうか。よしんば、土岐氏の家系でなかったにしろ、それ相応の出身であるだろうから、例えば、主君を失うというようなことで、一旦どん底に落ちたとしたら、臥薪嘗胆……下積み生活が長く、努力したりする部分も多かったであろうし、ある意味、弱いもの、強いたげられている者の立場がわかるところもあったと思う。だけど、あの時代、自分と自分の家族、一族、家を絶やさずつないでいくためには、きれい事だけではやっていけないし、びんびんにアンテナ張って、瞬時に情報を分析し判断していかないと、全てに命取り。下積み時代においては、色々勉強して、孫子の兵法などそらんじることはもとより、体も鍛え、武芸も磨き、人を見抜く訓練を自然と繰り返すことにより、洞察力も優れ、もともとの頭脳明晰さに加え、歌詠み、貴族社会のたしなみなど身につけ、朝廷、上級貴族、いわゆる育ちの良い、めっちゃ良い人達とのコミュニケーションもとれるような能力も身につけた、凄い人であったと思われます。
本能寺の変に関しては、善人か善人でないか、社会的に悪を封じ込める為に断固として立ち上がり、謀反を起こしたとは、僕は全く考えません。強いて言えば、自分の理想としていた世界に近づけるため、自分たちが生き残るため、やむを得ずとった行動。
明智光秀はやるときはやってます。断固とした殺戮、情け容赦ないことも、それは社会的に善か悪かではなく、やるべきかやらざるべきかの選択を神頼みにしたとしても、不遇の時が長かったゆえの、悩み、苦しみ、決断する、これを表情に出さずひそかに行うような人間であったと思われます。ただ、あまりにも、身近にいて、信頼していた盟友と思っていた人を、信じすぎて疑わず、謀反の後、四面楚歌みたいになった時でも一辺の希望を信じるロマンチスト的な甘い部分もあり、回りに上手く利用されてしまった(結果的にですが)とも言え、残念です。人物としてはそのような感想をもっています。
しかし、彼のとった行動が良かったかどうかの判断より、その歴史の事実が今日の日本を作っているので、命がけで生きぬいて去っていった明智光秀に心より深く感謝を捧げたいと思います。

片桐且元

なんと言っても、備前名護屋城。復元された建物とかはなく、島原の乱のようなことに、城跡が使われては一大事と、徹底的に破壊された石垣のみしか残ってないと聞いているが、豊臣秀吉が、唐攻めの基地として築城した。巨大城郭。主だった戦国大名達の屋敷もあったといい、きらびやかな五重の天守閣がそびえ立っていたという名護屋城。ここをイチオシ!……と言うか、ここしか知らない。攻城はしてませんが。今はなき秀吉の巨大城郭を復元想像しながら、崩れた石垣、所々残り、何か伝えんとする石達……その中を歩く自分を想像するだけでも、とても楽しくなります。
後、佐賀城。江藤新平らが起こした佐賀の乱によって、建物の大半を失ったと言うが、なんだか気になる城。
もうひとつは唐津城。海の中に悠然と構えるその姿の写真を見ただけで、惚れてまいそー。
以上、断然トップ、イチオシで肥前名護屋城。
佐賀城、唐津城が後に続きます。
僕の中の佐賀県の代表的な城。

片桐且元

まず、自宅の近くの城をもっと詳しく知る為にできうる限り訪れる。小牧山城は発掘調査真っ盛り、尾張徳川藩にずっと保護されていたので、遺構は良好にあるけど、それが地下に眠っていたりするので、目が離せない。どこの城でもそうだと思いますが、ここ小牧山は季節により、色々な表情が見られ、疲れた体や心を癒すのにも非常に良いので、そういった意味でも、できうる限り訪れます。
尾張岩倉城。ここは攻城70回以上になってはいますが、石碑しかない、住宅街の中の城ですが、会社の帰り、できうる限りよって、その石碑に手を合わせ色々瞑想したりするので、いつの間にかそんな回数になってしまいました。しかし、それだけではなく、五条川にはさまれたこの城は信長に滅ぼされ地下に埋もれて、しかも住宅が今もじゃんじゃん建てられてはいますが、高低差とか、古い街道、地名などから、そして信長公記、武功夜話等の文献からわかることも多く、埋蔵文化センターの発掘結果による、復元予想図を元に、休日等できうる限り足を運んでます。そして美大で学んだ技術を生かし、香川元太郎先生のような(誠におこがましいですが)復元図を描いてみたいと思ってます。最近は、岩倉市役所生涯教育センターで歴史にかなり詳しい山内さん(一豊公の縁者?)にわからないことを色々聞いています。自分のご先祖様に関係した城は、大阪城、茨木城ですが、なぜかこの尾張岩倉城に執着してしまいました。自宅の近所ですからね。
ちょっと離れてますが、犬山城。ここも最近まで個人所有の城だったので、櫓等復元確認にはまってます。
そして毎年必ず訪れる遠方の城もあります。これは毎年行く用事があるついでによるのですが、高知城、そして他の四国の攻城してない城等も攻めたい。
明智光秀に関した黒井城等も……と行きたい、再び訪れたい!そんなこんなで今年もやってみようと思ってます。
発表された後に気づいて、書き加えてますが、自分の攻城はスタイルはなんか変?
バッチも御朱印も0。もっと多くの城に……ということにも無頓着。同じ城ばかり何度も何度も……。しかし、自宅近くの尾張岩倉城から山内一豊つながりで、掛川城、高知城、
もっと自宅近くの九之坪城から、簗田政綱つながりで沓掛城、そうやって関係で攻めてみたい傾向が強く、一回行ったらしがみついて帰らないし、すぐ復元妄想したくなるし、それも限度を越えていると自分でもわかります。でも、こういうヤツが例外的にいても、良くない?

片桐且元

まず黒田長政の福岡城。福岡一番の規模を誇る城らしく、天守台が展望台になっていて、富山城のように建物はなかったのかなー?なんて思いきや、細川忠興が黒田長政に出した文に天守閣がどうのこうの……黒田さんがそれを壊すとか、の内容から大天守閣があったという説が有力で、CGで復元された映像を見て、ビックリ!駿府城天守閣もそうだけど、現存しない、天守閣で、めっちゃ凄いのは多いんだな!と改めて思うのであります。ウンチクはともあれ、この福岡城をまず第一に挙げます。
そして、細川忠興の小倉城。こちらは、ゾクゾクするほどの、興味そそられる縄張り……海城だったっけ……(うろ覚えで)、個人的には福岡城よりこちらが上にきますが、一般的に見て二番手と。ここは復元?模擬?天守閣がありますが、正確な復元ではないとの事。でも、天守閣があると映えますね。(個人的には、石垣だけ妄想どうぞの天守閣が身震いするほど好きなんですが)……ということで、小倉城を挙げます。
もう1つ、有馬さんの久留米城。ありまー!というくらい、石垣が良いです。九州は遠いけど、行きたいです。
以上、福岡城、小倉城、久留米城を挙げさせていただきます。
追記として、ふるーい時代の興味そそられる城も多いこの地方、そちらはちょっと外しておきました。

片桐且元

一般的には、松永久秀 斎藤道三 宇喜多直家、そして北条早雲を思い浮かべるであろうが、光秀が見直されているのと同じように、江戸時代とか、後世の作り話とか、面白おかしく、演出……脚色されたこともあり、それをそのまま信じて決定することはいさぎよしとできませんな。そもそも、戦国時代の悪とは…… 主家を乗っとるとか、普通の事。それを現代の解釈での悪とよんでいいものか? 梟雄という言葉に、強いという部分があり、暗躍するという意味では、暗躍と呼べるかどうかわからないけど、桶狭間のように情報を駆使し、いざ桶狭間という時まで、一部の家臣にしか告げてなかった作戦を遂げたり、非道な……という意味では、晩年、いくら自分の理想とする世界の為、効率的な会社運営……じゃなかった、織田軍の強化の為とはいえ、佐久間、林とかの宿老を捨てたりしたこともあり、織田信長公こそが梟雄だと……言っちゃって良いかな?
ちょっとそれは違うんでねぇの!と言われる事覚悟ですが、知恵の神様の梟の雄のように、頭も良く、強く、その時代の生きる!ということ、事をなす!ということが、非道ととらわれてしまう現代の解釈ではなく、戦国の常識として捉えるなら、松永、宇喜多、道三より織田信長公こそが梟雄だと思います。
見当外れ?……だったら、ごめんなさい。
ちなみに、僕は梟雄という言葉、大好きです。

片桐且元

あまりグスクについては知らなかった。しかし、今までは……と注意書きしても良いかな。毎回、読者投稿、都道府県バッチのお題が出る度に、わからないものに関しては調べるので、ありがたいです。それが団長の意図、愛情であるようにも思え、あっぱれ!です。
本題に入ります。3つ選ばせてもらいます。
1.まず首里城グスク……で良いのかな?この言い方で。なんだかダブってるようですが、本土の城という意味合いと、琉球のグスクとは、違うとも聞いたので。
歴史を調べたら何度も焼失してます。しかし何度も不死鳥のようによみがえってますので、それを祈ります。大陸系の建物のように思ってましたが、単にそうでもなく、石垣や地下にある遺構にたいしての世界遺産登録は変わらず、いつかは訪れたい。
2.今帰仁グスク……会社の女の子が、いってきたぁーと言って見せてもらった写真でびっくり。まるで、万里の長城、我が小牧山城の土累が全部石垣で出来ていて、もっともっと背が高い!石垣でなく、石の城壁だね、こりゃ……って感じで。ただ、ただ凄い! 写真でこうなので、実際それを前にしたとき、どうやっ!
本土、こちらの見慣れた石垣は直線的だけど、今帰仁グスクの城壁はうねうね。
3.勝連グスク……言わずもなが、攻城団ブログで拝見させていただき、あっぱれ!の内容。琉球にも光秀はいたんだ!……って感じで、見聞広がり、また歴史の面白さ、ますます増す。幅も奥行きも。

片桐且元

生駒吉乃さんです。濃姫さんに怒られるかも知れないけど、あの織田信長公を虜にした吉乃さんに大変興味があります。美貌もさることながら、一緒にいて心休まる女性、特に敏腕新興起業家のように、忙しく、常に情報を気にして、指示を与えたり、回りを見渡しておかなければ、自分や家の生命にも係わる、大変な日々をおくる信長公には、なくてはならない、その安らぎを唯一与えられる女性として、大好きです。母親の愛を弟に奪われたと自覚しているせいもあってか、信長公が夢中になる吉乃さんのイメージが湧きます。
生駒家の門をくぐり、吉乃さんの元に飛び込むように、抱きつくように、求め(変な意味にとらえるなかれ……それもあるかもですが)愛した信長公。彼をここまでさせられる吉乃さんは、素晴らしい女性だと思います。
二人が会っていた、江南市の小折城の吉乃御殿跡、吉乃さんが亡くなる時、信長公が看取ったという、小牧山城の信長公館跡にいくたびに、思いは馳せてます。

片桐且元

北海道と言えば五稜郭。最期までおのれの美学を貫いた土方歳三、また違った意味で後の明治新政府を支えた榎本武揚、新しい時代の到来、新しい形の城。それは本質的な意味での日本の城と旧体制の終焉を宣言すると共に、米国とは違った連邦制ではなく、日本国の形をつくる道の始まりでもあったと思う。僕は五稜郭しかないと思います。
チャシについては、もっと知ってからでないと、アイヌの方々に申し訳ないです。いい加減では。

片桐且元

今は休止中ですが、車中泊で各地転戦を重ねる自分は、道の駅で入手したその地方の見所などの案内、地図、美術館、郷土資料館などの催し物、はたまた、食事に入ったところの箸の入っていた紙、お品書きや、レシートまでも集めてます。当然ながら、膨大な資料(?)になる訳ですが、完璧なアナログ紙ベース人間の自分、「新潟」、「静岡」、「高知」、「金沢」……などファイルにファイリングして保存しております。自分の本棚、ずらーっと背書きしたファイルで並んでおります。これが、また次の旅に役立ったりするんですよね。考えたら、写真に撮ってデジタル保存とかすれば収納場所も取らず良いに決まってますが、変態的触覚感覚マニア(なんのこっちゃ?)の僕は、指でナデナデできたり、印刷、紙の匂いをクンクンできないと我慢出来ないので、上述の通りです。
で、肝心の今日のお題の「お城のパンフレットなど」ですが、地方、地方に分別したファイルにファイリングすればいいのですが、こればっかりは、次の旅といっておらず、常に引っ掻き回し、読み直したり、他の城のパンフレットと比較したりで、大量の資料の中に埋めさせることは、非効率的なので、城だけのスペシャルファイル(またまた大袈裟な!)にファイリングしております。だいたいどこの城を攻める時でも、事前に復元予想図面を手描きする自分なので、それと共にファイリング、その他現地で書いたメモなども、現地の泥で汚れたり、雨で破れたり、染みになってたり……またそれが好きなんで。
こちらのスペシャルファイルは、ほとんど本棚に並んでいたことはありませんね、城関係の気に入った本や資料はいつも(会社に行くときも)持ち歩いているので、それと共にスペシャルバックの中に。
そして、ここが肝心なところ。犬山城、尾張岩倉城、小牧山城など、特に自分が復元確認を血眼で(また大袈裟!)行っている城、それは今は完全に休止中ですが、仕事帰りに毎日よったり、一週間に一度は必ず訪れる位の勢いで攻めまくっている城のパンフレット、復元予想図面、走り書きメモの紙などは、ファイルではなく、各城毎に分けたバインダーA4に挟んで、即活用出きるよう毎日持ち歩いています。このバインダーなくして攻城できませぬ。このバインダーに挟んだ紙に、ボールペンとかではなく、シャーペンでもなく、鉛筆でシャッ!と描く、はたまた書く時の感覚、感触がなかったら、僕の目の前はたちまち真っ暗になると言うくらい、紙ベースの生活を捨てきれない自分ですが。
てな具合の整理方法です。なんか変?

片桐且元

城めぐりというか、城址に住んでいた時の話です。学生時代、八王子城址にあった大学のすぐ近くに住んでいた僕、同じ大学の後輩に仲良しの彼女がいました。ある夜、ずっと話をしてて、明け方城山を登ろうということになり、八王子城要害方面を登り、展望の良い所で明るくなりました。その景色が素晴らしく、彼女と一緒なら……と思わずそこでプロポーズしてしまいました。してしまった……というと語弊はありますが、なんか、八王子城に後押ししてもらって、今の妻と自分の生活が始まったのです。あの八王子城の明け方の美しい展望。それがなかったらプロポーズしてたかどうか。というか、その勇気をもらった。八王子城に。大学卒業してから結婚しましたが、その時住んでいた下宿の大家さんに仲人になってもらいました。その大家さんは、北条氏照の御典医の末裔。そして今年、八王子城を攻めた折に訪ずれたその下宿。大家さんはお二人ともすでに亡くなっておられますが、生前石碑を立てられてて、そこに勘解由屋敷と刻まれていたので、要害地区の曲輪で中山勘解由が守った場所があるのですが、その武将と関係があった事も判明し、感慨深いです。
けっこう自分の攻城スタイルの事もあり、その城址の近くに住まわれている方に、城址にまつわる事や、場所などたずねることがよくあります。挙動不審で、不審人物ぽく見える僕は、多分最初話しかけられた人は警戒すると思われますが、どの人も(ほとんど例外なく)、こちらが真正面に向き合って、城の事を熱意をもってたずねると、親切にこたえていただけてます。わざわざ、その近くまでついてきて下さり説明してくださったり(ボランティアガイドの方ではありませんよ)したこともあり、気持ちのやり取り……というか、共感の部分もあったり、人と人との優しさの伝わりを感じる事もあり、嬉しくなる事が多いです。
城址碑しかない尾張岩倉城で、ひしめく住宅地の中、ある住宅の窓から中に見えた〈岩倉城本丸〉の太い文字。あれを見た時は嬉しかった!自分が住んでいる場所に誇りを持っている人がいる。
職場で朝礼の場などで、城の話をしたりすると、けっこう、みんな感心をもってくれて、単純に城バカと言われて一方通行ではなく、返ってくるものがあり、なかなか捨てたもんじゃないとも思います。最近の一言でも記録したことがありますが、会社の女の子なんかも興味をもってくれたりして、色々聞いてきたり、城に関するものをわざわざプレゼントしてくれたり、このお城行った事があるんだよって、写真を見せてくれたり、コミュニケーションが円滑に進む城話です。それで誤解されたり……ということもありますが、まぁまぁ、おじさん先輩社員として良い思いもしてます。(ちょっと良い話って、それかぁ!……と思われるなかれ。そういう所もあるってことで。何もそれを武器にして……ちょいワルなんて事は断じてありませんから)でも、こちらが興味ある城の話に熱弁をふるうと、相手の目がキラキラしてくるのは感じます。どうしよう! なんちやって……八王子城のプロポーズから、うん十年たつと、こんな事言うようになっちゃうんですよね。)
攻城の時も、後でその話をした時も、総じて、真摯に人と向き合えば相手に与えるものも、また相手からもらえるものもあり、それが暖かさを伴った嬉しい繋がりになる……ということが確証されました。
今この時勢、新型ウイルスのせいで、人と人の距離を空けなければならないということで、多くの困難、そして心の空白が広がり、人と触れあう事を悪とするような我慢で、満たされなくなることもありますが、このお題にこたえようとするとき、色々思い出され、お題を掲げて下さった団長のお心をありがたく思います。

片桐且元

攻城したことのある城から2つ、未攻城の城から1つ選ばせてもらいます。
まず金沢城。復元された櫓群もさることながら、築城当時の石垣がびっくりするほど遺っており、それも古い積み方から、工芸作品のような美しい石垣まで、時代を追って全て堪能することができる、いわば石垣の博物館。
いろんなコースが設定されており、それにしたがって行くと、素晴らしく充実した時がおくれます。石垣好きの人にはたまんないですよ。
ただし、時間がいくらあっても足りないくらいで、多分1日で、石垣も櫓群、門、その他の遺構をしっかりみることは不可能ではないかな。以前、金沢大学のキャンパスだったと聞き、素晴らしい環境で学問の道を研鑽した学生が羨ましく思います。兼六園が掘りの跡が道路になった百聞掘を挟んで反対側にあり、石川県と言えば、まずこの金沢城。

2つ目は畠山氏の堅固ででっかい山城、七尾城をおすすめ。こちらも石垣が素晴らしい。こちらの石垣は、苔むした古い階段状の積み方の野面積みの味わいのある石垣。こちらも、短時間で、全部回ることは、ほぼ不可能かと思われます。時間がなかったら、遊佐屋敷跡を通り、本丸に向かい、この本丸で能登湾の絶景を楽しむことをおすすめします。そして本丸回りには、外枡形の門の跡とか土塁があり、丁寧にCG復元図が掲示してあり、復元確認も楽しいです。本丸の神社があるのですが、そこが主郭だということです。
以上2つは、僕が攻城済の城です。

後の1つは、行かなかったこと後悔している城。小松城です。金沢城の支城でありながら、広大な縄張りをもつという小松城。遺構は天守台の石垣以外、あまり残ってないかもしれないですが(ただ勉強不足だけで、あるのかも……)小松高校の中に見事な、天守台の石垣が遺っていることを知り、団員の皆さんの写真を拝見して、ここだ!と思った次第であります。

片桐且元

そりゃあれですよ。あれ!歴史好き、城好き、旅行好きの皆さんが「好き」「趣味」を通じて集まってくる喜びを味わえること。
日常生活では少数派かもしれない歴史好き自称する自分は、会社でも家でも、変な人扱いされて、面倒くさがられるようなところがありましたし、少々そんなことからさみしい思いもしたこともあります。逆に「それで悪いか。好きなものは好きだ!」なんてタンカ切ってるところもありましたが。
しかし、この攻城団に入団させていただいてからというもの、臆することなく、堂々と好きなことやっていいんだ!と、思えるようになり、生活の優先順位上位に躍り上がった我が趣味。少々(どころか、かなり……か?)のめり込み過ぎていると言えなくもないほどですが、毎日、仕事にしろ、家の事にしろ、難題が起きても、それをやってやろうという、推進力の源になっており、以前から元気は元気ですが、さらに更にパワーアップすることができてます。(元気過ぎて困るくらい?)
皆さん、攻城団の団員さんの方々と、直接会ってはいないのですが、毎日お会いしているような、そして困難な壁にぶつかっている時でも、一人でないような……それは城に関することだけではなく、妄想としてかも知れませんが感じ、日々精力的に頑張れる事はそのお陰。
そして、尊敬出来るような人にも出会え、それは城攻めの方法、考え方等、さらには自分でも少々は歴史の事知ってると思ってましたが、もっと知識豊富で色々教えてくださるような方とも出会えたり……これは団長さんが用意して下さった「ルーム」で、会話形式でやり取りできるようになった最近だから余計にですが、入団できて良かったというより、もし攻城団のチラシを目にせず、独りよがりの城巡り等やってたら……と考えるとゾッとするというくらいのものです。
城攻めにも人それぞれ、いろんなパターンがあり、参考になることも、自分のひらめきに繋がることも、反省させられる事もあり、感謝しかありません。
そして、人間とは、社会的生き物であり、どこかに属して活動するものと言われてますが、それが会社であったり、学校であったり、地域社会であったり……だけどずっと恒久的なものと言えば不確定なものが多く、自分の趣味としていること、興味があることの社会的なものとしての攻城団は、いつでも、「ただいま!」と帰って来られるような場所でもあります。
それを感じる事が出来ること。これこそ攻城団があって助かった!良かったと思える事です。
添付した写真、僕片桐且元ですが(お見苦しい点失礼)、今年の最初の最近のひとことに掲載したのと同じくで、ロダンの彫刻をみている図ですが、あえてみている先を消してあります。みている先は彫刻に限定するのではなく、城、歴史、人の生き方、そして未来なので。攻城団と出会えて良かった!過去の歴史をしっかり検証し未来に繋げたい。

片桐且元

宮城県と言えば仙台、伊達政宗公の仙台城。青葉城恋歌で有名過ぎるほど有名。石垣しか遺ってないかもしれないけど、広大な城址である。実は二年ほど前に、この城のすぐ近くにある宮城県立美術館に行って、時間がなかったので、仙台城には行かなかった。(行けなかった)
人生最大の失点かもしれない。
最近買った、幕末の写真集に健在だった頃の大手門が写っているが、「何!この大手門。凄過ぎる!」と思わず叫びたくなるほど、常識外れの大手門。戦災で失われたということですが、ぜひ復元されたし。資料、写真等しっかり残っているので、しっかり復元できる事と思われます。
宮城県では、この仙台城しか思い浮かびません。しかし、ぜひ行きたい城がもうひとつあります。なので、それも挙げさせていただきます。それは、岩出山城。ハーツクライさんが投稿された写真にあったこの城の土塁が、一目見て、「行きたい!」と思え、ここも挙げます。
伊達政宗公が仙台城を築く前の居城なので、そういう意味でも挙げるべきかと。

片桐且元

自然の中で自然と共生し、石垣の色も石自体のものではなく、外部の空気の色として石垣に写り混んでいるような事を強く感じたのは、村上城の石垣に接した時が最初で、それから石との会話が始まった。そして、技術的には、とてもじゃない代物だと自分でも思いますが、この石垣の写真が一番好きです。村上城本丸の石垣です。写真をちょくちょく投稿させていただいてますが、あまりにもアップの基準に満たない写真が多く、最近は制限をよく受けておりますので、団長さんにもご迷惑かけないよう、良い写真をアップしようとしてますが、なかなか上手くなりません。そんなめげかけている今、へたながら、自分のこの写真をみると、なぜだか、頑張ろうという気になります。初心を思うというような……
写真を撮るという行為そのものが、石を触り自分の感覚が喜ぶという、素直な気持ちになれ、嬉しくなります。それがマンネリ化、形骸化に陥ったとき、もがいても抜け出せないスパイラルになるのか。

片桐且元

まず山口県と言えば、間違いなく萩城の名が真っ先に浮かびます。天守閣を初めとする建物が破却されたのは、誠に惜しい。
幕末、明治初期の萩城天守閣の古写真を見て、素晴らしいと思うのです。石垣から出っ張る天守閣のバランスの妙。せめてもの救いは、このような古写真が残っていることです。
後、岩国城と大内氏館を推薦させていただきます。

片桐且元

印象に残っていると言えば、団長公記か、どこか、はっきりとは覚えていませんが、攻城団ができたきっかけの、団長と親しいお仲間の城旅行の話しですね。手作りで作ったパンフレット、城の単純化したイラストの表紙のそれが何故か印象深かったです。ここまで大きくなったその始まりの話しはとても印象深いものです。
それと、これも団長さんがまとめあげた報告書?で沖縄のグスクの紹介が印象深かったです。実際に現地に行かれたレポートで、グスクの魅力、特に本土と違う、壁のような、しかもうねうねとうねった土塁のような石垣に衝撃を受けたレポートでした。現地での臨場感溢れるレポートで、実際その場にいるかのような思いを受け、知らなかった世界が迫ってきました。
さらに、印象深いと言うか、非常に僕の攻城スタイルにマッチングと言うか、参考になりまくっている、犬山城マイスターのたかまるさんのレポートや、復元の説明。実際、そのように探して自分で納得できたとき、印象深いものだけではなく、感慨深いものにもなっていました。
まだまだたくさんあるかな……とりあえずそのうちの一部だと思いますが。

片桐且元

奈良県は未だ攻城した城がないのですが、魅力的な城があります。まず高取城。日本三大山城であり、石垣などしっかりのこっている。そして、おそらくはずせないでしょう、郡山城。奈良といえば「大和郡山城」というくらいですから。そして3番目には迷わず、信貴山城を選ばせていただきます。あの松永久秀が居城。今でも各曲輪がのこっている素晴らしい山城……最後に謀反を起こし、光秀と秀吉に攻められているときの様子を妄想したり、多聞櫓など色々なアイディアマン、女性大好き、それゆえパワー溢れる男……なんていうイメージなど、話題に事欠かない久秀さんを思ったりして攻城したい城です。今は吉田剛太郎久秀を思い浮かべてしまいますが……
ここだけの話し、3番目は宇陀松山城とこの信貴山城で迷ったのですが、関係している人物で選んじゃいました。「そういう事言うのなら、多聞山城もでしょう!」やはり魅力ある山城系が多いようです、奈良県は。

片桐且元

光秀さんには申し訳ないのですが、羽柴方につきます。既にその後に展開される歴史を知ってるから、とかの理由でなく、そして光秀さんを逆賊、悪者として仕立てたのが、秀吉であっても、風は秀吉に有利に吹いていたのかと思う。逆に今、世間で注目されているところ……大河ドラマも相まって、光秀さんあっぱれ、理想に燃え駆け抜けた十兵衛として、汚名返上のさなか再評価、その事実があっても、光秀さんの側につくわけにはいかない。盟友細川さんの気持ち察するにあまりあります。
僕、片桐且元は羽柴秀吉につきます。なんか、当たり前の事のように思えますが……

片桐且元

1,唐沢山城
ちょっと変わった高石垣がある魅力的な城。関東には石垣の城があまりないとか。そんな中でも異彩を放ち、しかもしっかり石達の言葉が聞けそうで、片桐的には一番押したい城。未攻城ですが。
2,足利氏館
栃木県と言えば、必ず聞く名前の城ですから。足利氏……詳しくはないのでわかりませんが、後々、室町幕府をおっ建てた、足利尊氏の六代祖だという義兼が建てた館だと聞く。それだけでもご立派。土塁や堀など遺構も素晴らしいと聞く。
3,宇都宮城
実際行ったわけではないのですが、耳だけ、写真などからだけで、城らしい城にみえる。(ん?城らしい城って……)
以上3城を押させていただきます。

片桐且元

僕は、小牧山城の「主郭地区発掘調査」からのレポートパンフレットが大好きである。特にこのイラストで表した各曲輪が配置されて、大手道などとの位置関係がよくわかる「永禄期小牧山城推定想像図」の部分が気に入っています。ほら、このイラストみるだけで、今いる辺りのイメージが、スッとわくでしょ。これが一番大切な事なんです。僕にとっては。
このイメージがわくか、わかないかで、発見しよう、見よう、感じよう、その当時の人々の気持ちに思いを馳せよう、……などといった様々な「したいこと。意欲を持って……」が充実するかどうか差が出るし、イメージがわかないと、いくら予習していっても、見落として後から「しまった!」って事になりかねないのです。
この推定想像図、10月1日の時点で最新の「(片桐且元の) 最近のひとこと」を合わせ見ていただくと、僕の言いたい事が、更によく伝わると思います。

片桐且元

鹿児島城……別名鶴丸城のこの城が真っ先に浮かびます。あの島津家の居城として、鹿児島では絶大な存在力を示す鹿児島城は誰の頭にも真っ先に浮かぶのではないでしょうか。
あと二つ選ばせていただきますが、個人的にはこちらの城の方がドキドキしてしまいます。(と言っても、行った事なくて、攻城した皆さんの投稿写真とか見てですが)
志布志城と知覧城を残り二つの枠に入れさせていただきます。

片桐且元

キツかった……と言えば、一般に山城等の、まず行くのにも、帰るのにも大変な努力がいる城、また、わかりにくく、探し当てるまでに相当苦労をした、というような城を思い浮かべますが、僕の場合は大阪城なんです。
広い広い大阪城。甘くみすぎていたのが原因。
限られた時間しかないのに、見たいところ、確かめたい所が沢山ありすぎて、そして実際攻めたら、興味そそられるものが多く、しかも脱線までもして、結局目的を全部淘汰出来なかったばかりでなく、他の目的で行っていた約束にも遅れてしまった(こちらの方が、大阪まで行ったメインだったのですが)という不手際を犯してしまった時の事、この時が今までで一番キツかった!
森ノ宮駅方面から攻めて、玉造口から入りましたが、思ったより石垣のパターンが多く、しかも面白い。なぜなぜしたり、舐め回すように観たり、視点を変えて石と会話したり、マッチング、共感、まるで石とデートしてるような時を過ごし、写真も撮り……梅林公園がなんか懐かしい感じだー!なんてくつろいでたら、そこは元片桐且元屋敷跡。
野鳥の会の方々がいて、ちょっと気遣いながら(冗談でなく、この方々が写真撮られてると、結構気を使います。石垣と違って、鳥は飛ん行ってしまいますから)、内堀の石垣を覗き込んでいたら、その野鳥の会の一人の方が、そーっと近づいてこられ「なんか珍しい鳥いましたか?」と僕をメンバーと勘違いされ、「石垣です。」と答えたら「失礼……いいご趣味ですね。」と、ちょっと会話があったり、そんなこんなんで、ぐるーっとまわって時間ギリギリ、タイムオーバー。戻ろうとしたら、大阪城は、めっちゃ広すぎる、走る走る、暑い時期で汗だく汁だく、飲み物も取らず、帰る途中に興味深い石垣見つけ、ちょっと堪能したり、本題忘れたオッサンは、ハァハァ言いながら、約束の場所に戻り、社会人的には大落伍者の片桐、約束の相手に呆れられました。
これが、精神的にも、肉体的にもキツかった城攻めです。……ってか、戻るときの死ぬようなキツさが、この大阪城城攻めの思い出イメージになってしまいましたが、得るものは沢山ありました。あらためて、大阪城は広いっ!
要するに、欲張りすぎてキツかった……と言うことです。

片桐且元

鳥取県と言えば、まず鳥取城。秀吉の過酷な攻めと、吉川経家公、そして天球のような石垣。次に思い浮かぶのが米子城。素晴らしい石垣。魅力的な。皆さんの投稿写真でしかわかりませんが、それでも、石が俺を呼んでいるぜ!
三つ目は河原城。これは名前も知りませんでしたが、調べてて「行ってみたいっ!」と思った城です。梅の咲く頃に訪れたい。

片桐且元

名軍師といえば、黒田官兵衛、山本勘助、大原雪斎、竹中半兵衛、が体表的で誰もが思い浮かべるでしょうが、さらに直江兼続、片倉小十郎、真田正幸、本多正信、島左近という名前も聞かれます。
でも名軍師というものはなんぞや?と定義を求めたとして、中国系の占いや、禅僧の唱えるものを必然的なところ排除して、知将としてあるものにつかえるような定義にすれば、織田信長にとっての明智光秀なんじゃないかと個人的には、勝手に思ったりします。
大河ドラマでは、正室の帰蝶(濃姫)がそんな感じですが、明智光秀こそが、名軍師にふさわしいと思いますね。

片桐且元

岐阜城、岩村城、苗木城……多分この三城で決定なんではないのでしょうか。
なんていってますが、岐阜県は明智町の出身の癖に、上述の三城の内攻城したのは岐阜城だけ。斎藤道三と織田信長の岐阜城はまず代表の中の代表だと思いますが、攻城してないのに、岩村城と苗木城をあげるなよ!と皆さんに怒られそうで、しかも、可児の明智城や美濃金山城、岐阜の加納城、大桑城、土岐の妻木城や、瑞浪の小里城等好ましい石垣の城等や大河ドラマで人気になった城等が、ここかしこにあるようで、もっと胸を張って「ここぞ!」という城を押せそうなものですが、中学生の時に自転車で巡った城や、史跡のレポートを書いたにせよ、本格的に城好きになったのは、尾張に居所を移してからなので、無責任推挙となってしまいます。
だけど様々な資料、団員のお仲間の素晴らしい石垣の写真、巨石の驚くべき、特出した城址の全身像を知るにして、岩村城と苗木城は、岐阜城のように、岐阜県を代表する城として推挙せざるを得ないと確信しております。個人的には可児の美濃金山城が、とても気になる存在ですが。次点として……

片桐且元

まずは信州は上田城。イケメンのおもてなし武将隊がお迎えしてくれるぞ。しかも、のりのりの。うちの妻でさえ「姫!姫はどこの城から逃げてこられたのじゃ?」なんて呼びかけられて、名刺までもらって気分よくなってたぞい。よせばよいのに調子に乗って「尾張からじゃ!」なんてこたえて、武将隊に囲まれて遊んでもらってたぞい。周りの人々がそれを見て楽しんでいたがのう。……ん?武将隊のメンバーの口調になってる! 近くには、真田のお殿様も入っていたという温泉もあり、女子旅でも随分楽しめると思うがな。
そして、僕がよく行っている犬山城をオススメ。ここは縁結び、子宝、などの神社等が、集まっているせいか、カップルも多いけど、訪れる人たちは圧倒的に若い女性等多く、城下町も大人気で、レンタルの着物を来て歩く美しい姿をいつも見受けられ、こちらも楽しくなってます。女子同士ってよくしゃべりますね。「キャー!」とか「たのしー!」とか、天守閣の望楼の廻縁(バルコニーみたいな所)で木曽川や尾張、美濃の目を見張る景色を眺望したときや、素晴らしい天守閣の、しかもかわいい萌え萌えのその建築物を目の当たりにした女子はグループでめっちゃ楽しんでいること、ひしひしと伝わって来ます。女子一人旅なら天守閣の前にいるだけで、その姿が「萌え。」なので、犬山城を、女子旅攻城推挙として自信をもって太鼓判推挙! 縁結びの犬山城でもあり、グループでも行っても、女子一人旅であっても、彼氏と出会える場面もありそう(またまた、これが目的ではないか。すみません。)……しかしながら、ちょくちょく行く犬山城で、女子旅グループの子達が帰り際に話している言葉で多いのは、「今日は来て良かったねー!」「楽しかった!」みんなニコニコして、幸せ半分、この石垣べったりおじさんにまでもらっちゃってるので、萌えシーンは揃ってると思われます。木曽川があるからね。ここは。川の流れと時の流れ。そしてそんな流れの中で、偶然にでも出会った女友達の面々。その流れの傍らにずっと変わらず建っている犬山城天守閣は、あなた達を「萌え」の世界で友情の美しさ、ありがたさに包み込んでくれること間違いなしでイチオシですぞ。女子一人旅ならなおさら時の流れの中で出会うこの「萌えポイント白帝城こと犬山城」に惚れちゃう事うけあいですぞ。そして、城好きが少ないのなら、城下町など、美味しい食べ旅のような形で誘って、ついでに城まで一緒に行ってしまえば、「えーっ!お城って、かわいいし、すっごーい!」って事になりそう。
ここまで書いて、本当に真面目に犬山城攻城しとんのかいな、片桐は。なんてふと思ってしまいましたが、安心してください。真面目です。攻城の傍ら、ふと目にしたり、耳にしたりした、女の子達の様子を語っただけなので……

片桐且元

まず岡城。素晴らしい高石垣、広い城の縄張り。滝廉太郎ゆかりの城とあり、城自体もさることながら、好きな芸術家、そして「荒城の月」若き日、風間トオル主演の「我が愛の譜 滝廉太郎物語」をみて感動した思いもあり、イチオシ。攻城……じゃなかった、荒城の月の歌詞。これはどこの城に行っても脳裏に流れるものではないでしょうか? 特に攻城団の同志諸君にとって。
春 高楼の 花の宴 めぐる杯 かげさして 千代の松が枝 わけいでし むかしの光 いまいずこ  秋 陣営の 霜の色 鳴きゆく雁の 数見せて 植えうる剣に 照りそいし むかしの光 いまいずこ  今 荒城の 夜半の月 かわらぬ光 誰がためぞ 垣に残るは ただかつら 松にうたうは ただ嵐  天上影は 変わらねど 栄枯は移る 世のすがた 写さんとてか今もなお ああ荒城の 夜半の月……滝廉太郎を含めて、岡城をイチオシ。
次は府内城。現存櫓が二つもあり、その他復元されている建物も多い。百名城でもあります。
そして、三大水城の中津城は外してはなるまいということで、岡城、府内城、中津城の三つを推挙します。
個人的には臼杵城も気になって仕方ありませんが……

片桐且元

GoogleEarthで、行きたい城、行ったことのある城でも、上空から、そして迫って横からとか攻めて、臨場感溢れる疑似攻城体験を楽しんでました。これは平素でも、城の周りの関係、地形を理解する上で、有用な疑似体験だと思います。その城の攻め方まで考えられてしまう。しかし、普通の民家の攻め方までも考えられてしまうこのアプリ、プライベート侵害にはならぬか?(と、余計な心配をしてしまいました。)
そして、香川元太郎先生の復元イラストに憧れる僕は、自分の復元確認をしている、住宅地の中に石碑だけあるような城の、復元予想図を描く事も、ライフワークとして位置づけているので、(そんな大げさな言い方しなくても、ただ、そういうことが昔から好きなだけですが……) 図書館の文献、古地図、自分の足で確認した事実等を含めて描いてます。最初は、「たぶんこうだったんじゃないか復元予想図」だったのが、何度も足を運び、調べ、今回のお題であるステイホーム期間は、今まで撮り貯めた写真など見比べたり、、古い地図と今の地図と照らし合わせたり、関係書物を再読したり、攻城の時の事を思い出したりして、確かな「復元確認図」になるべく、精度をあげるよう努めています。
写真は、描きかけの尾張岩倉城と、攻城の度に携帯して描き足してボロボロの犬山城の復元確認、復元予想図です。末森城縄張り図の走り描きメモものぞいとります。(最近のひとことでも述べた、古渡城も仲間に加わろうとしてますが……)
尚、完成した復元予想図の上に、透明なビニール等に、現在の道路、主な建物等を描いたものを重ねられるようにすると、誰もがみてすぐに、「えーっ! そうだったんだ!」と納得できる参考図にできるような気がして、わくわくしてきます。(言うだけでなく、早くやれよ。ってか。)
最近は、現在の写真と古地図等を重ね合わせる、ジオリファレンスという手法もあるらしく、パソコンで座標値を入れて操作する方法ですが、これも興味深く、いずれ挑戦しようと思ってますが。
以上、ステイホーム期間におうちでできると言うか、自分がしていた(残念ながら再びその期間なので今もしている)お城の楽しみ方でした。

片桐且元

石垣の存在感が半端ではない丸亀城、まずこの城を文句なくイチオシオススメ!天守閣は現存十二天守閣のひとつである。大手門も現存ということで、高石垣、現存天守閣……三重で小ぶりですが、「現存」というところが凄い。
次に高松城、こちらも丸亀城と同じく、もともとは生駒親正氏の築城。天守閣は現存してないが、明治15年に写された天守閣は2年後に朽ちたということで取り壊されるのだが、ボロボロになった姿でも、重厚な存在感があり、その老朽化故にか凄みが感じられ、この古写真が残っている事は、とても意味がある。現存の月見櫓など、丸亀城の天守閣によく似ているように、僕には感じられるが、丸亀城の方は、生駒氏の後後、京極氏が造築したものらしい。ここは海水を引き入れた堀ということで、水城として君臨する。
三番目に推挙するのは、引田城。高石垣とかではないが、石垣のありようが、僕の好む形で絶妙な味を出している。個人的推挙。

片桐且元

好きな戦国武将云々ではなく、今の日本に直接繋がる、最もお札に相応しい戦国武将は、徳川家康公である。……と思うのです。大河ドラマ「青天に衝け」のオープニングに徳川家康が出てくるのも、そうだからと僕は勝手に思ってます。
千円札=豊臣秀吉、五千円札=織田信長、一万円札=徳川家康、そこまでが本題に対する答えです。ここから先には、片桐のうわ言なので聞くだけ聞いて、捨て置いて下さい。本音ですが、本題の正当な答えとはしません。
五万円札を新規導入させ、そこには言わずと知れた「明智光秀」が印刷されるのである。
あり得ない五万円札なのでうわ言ですね。
ということで、やはり三英傑ですな。

片桐且元

青森県と言ったら「弘前城」現存12天守の一つ。築城当時は5層5階だったらしいが、落雷で消失したらしい。現存する現在の3重天守閣、なんだかどこかの隅櫓っぽく見える。それもそのはず、1810年に隅櫓を改築して、天守閣としたと聞く。御三階櫓との別名あり。東日本唯一の現存三重天守閣を含み、櫓4基、櫓門5基の現存は、青森県では他を寄せ付けない君臨度である。幕末、明治の頃の古写真。城を語るとき、僕はどうしてもこれに着目してしまうのだが、天守閣の後ろに本丸御殿が写っている古写真をみるにあたり、色んな事情があるにせよ、「取り壊される……」とあり、残念に思います。
二つ目にあげるのは「根城」こちら中世城郭の事がよくわかる復元、展示になっているらしく、ぜひ訪れたいところ。
三つ目は「浪岡城」とするのが通例かと。しかし僕は「七戸城」を挙げます。(ややこしい書き方ですみません) 堀、土塁等の遺構があり復元予想期待

片桐且元

高知城追手門。ここの石垣は美しい。天下一品。城門としても美しく、天守閣と一緒に望める位置的センスも面白い。ちょっとおしゃれなスマートな門。写真は追手門の石垣。
もう一つ、移築門でも復元門でもなく現存してないので、古写真や資料からしかうかがいしれないけど、大好きな城門があります。重厚で厳然と構える城門。それは、仙台城、伊達政宗公の城門です。一説によると、肥前名護屋城からの移築とも言われて、古式の桃山建築という壮大な大手門。戦災でなくなるまでは、仙台城の顔とも呼ばれていて、旧国宝でもありました。現在は古写真で把握できるのみです。いつも言っていることなのですが、古写真はとても貴重で、そこに現代に生きる我々に様々なヒントを提示してくれるのです。確か実測図もあるはずなので復元を熱望。
高知城の追手門、仙台城の大手門、全く違うタイプ、正反対とも言える城門ですが、どちらもお気に入りです。

片桐且元

和歌山城がベストワン。和歌山城というと天守閣のイメージが強いのですが、いやいや、実際にはその他の失われた素晴らしい建築物があったのです。復元図及び復元CGなどで想像力を働かせるのもまた楽しと思われます。
次にくるのが、新宮城。石垣のハーモニーが美しく、天守閣再建の動きもあるとの事。続百名城に選ばれているだけの事はあり、おすすめ。
そして、スナイパー雑賀孫一の城でもあった雑賀城、最近国史跡に指定され、調査報告がよくされている湯浅城等があり迷っちゃいますが、ここは湯浅城をおすすめにします。計画的に少しずつでも発掘調査がなされ、調査毎に明らかになることも多く、今後も目が話せない城址です。尾張の小牧山城もそうですが、史跡指定されて少しずつにせよ真実を明らかに出来るということは、幸せなことです。戦国時代だけではなく、鎌倉時代も実は面白いと思わせる扉を開ける城のように思えます。なのでこの城をおすすめ。

片桐且元

斎藤道三の父、長井新左衛門尉と道三。主家を乗っ取ってしまうという、道に外れた事をしでかした……と言っても、戦国はそれが常なることだし、その後守護の土岐氏を駆遂することも、知恵とやる気がなければ出来ないこと。それを親子二代に渡り成し遂げたというところで、戦国期最強の親子ではないか。道三が息子に殺されたのは、その裏返しの意味で、親子で事をなす、一緒にやらなくとも流れとしてそれを成す事が、一つ間違えると、どちらかの身を滅ぼす結果になることも具現している。実際、その後の美濃の斎藤家が、それを証明している。
実は、最強の親子もう一組、どうしても外せない親子があります。織田信秀と信長。信秀の津島、熱田の地を上手く生かして築き上げた財力、その下地があり、しかもただの二代目ではなかった信長。この親子は最強!信秀なくして果たして信長があったか?
そして義理であるが道三と信長も最強の親子と言える。3組もすまぬ

片桐且元

日本100名城の甲府城を、まずトップにもってきたいところですが、ここは武田氏関連で、信玄の居館でもあった、「躑躅ヶ崎城」、そしてその詰城であった、「要害山城」、そして勝頼が、長篠の合戦で敗北した後に築城した、悲運の城、名門武田氏最後の城である、「新府城」を挙げたいと思います。
甲府城も天下の100名城だけあり、門や櫓の圧倒的な存在感で当然選ばれるべきですが、僕は武田氏の物語を城の関係性、そして託された希望と夢と、現実の悲しいがゆえの存在感を大切にしたい。そして、遺された遺構から一つ一つ拾い上げる事の大切さを、この3城で体現出来ると信じる。順不動で「躑躅ヶ崎城」「要害山城」「新府城」をおススメ。

片桐且元

1 仙台城……攻城予定だったのに時間の都合で行けなかった。仕事をドタキャンしてでも行けば良かった! 三の丸辺りは歩いていたかもですが。宮城県美術館はその近くでは…… もう少しで行けただけに、攻城したい城のナンバーワンです。最近、ブラタモリで仙台の城下町を特集していて、行きたい気持ち極まる。伊達政宗公の城下町つくりで、公の考えの深さ、懐の深さ、そしてその人間的大きさを知るにつれ、ますます行きたい城になってます。
2 熊本城……加藤清正公のこのお城を攻城しないうちは死ねない。
3 肥前名護屋城……破壊された石垣でも、復元予想楽しそうな、大規模な城址。翻弄された武将も多かったであろうが、太閤秀吉の夢のあと。時間をかけて歩きたい。

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今日のレビュー

猛将妄想録 1 (電撃ジャパンコミックス)

いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

こうの)

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