古河城は室町時代には古河公方・足利成氏が本拠とし「古河御所」と呼ばれ、戦国時代の関東における中心のひとつでした。江戸時代に入っても将軍の日光社参時の宿として、また江戸城の北方の守りとして重要視され、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務めました。大老となった土井利勝や堀田正俊も城主を務めています。明治時代末期に行われた治水工事により、遺構はほとんど残っていませんが、近隣にある福法寺の山門は二の丸御殿の乾門が移築されたものとされています。また、出城(諏訪郭)跡に建てられている古河歴史博物館内には精密な古河城下模型が展示されており、城全体の構造が再現されています。
目次
古河城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平城(平山城) |
標高(比高) | 18.9 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 独立式層塔型 |
天守の階数 | 3重4階 |
天守の種類 | 非現存天守 |
天守の高さ | 22 m |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1634年(寛永11年)に大老・土井利勝によって天守に代わる御三階櫓が築かれた。1874年(明治7年)に取り壊され、城址一帯も明治から昭和にかけて行われた治水事業によって消滅してしまったが、1982年(昭和57年)の赤外線写真調査によって御三階櫓の跡が見つかった。 |
築城主 | 下河辺行平 |
築城開始・完了年 | 着工 平安時代末期(1180年頃) |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
主な改修者 | 小笠原秀政、松平康長、土井利勝 |
主な城主 | 足利成氏(古河公方)、土井利勝 |
遺構 | 堀、土塁 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/06/01 03:24:32
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 古河歴史博物館駐車場(無料、9台) |
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