あまり意識したことはありませんが強いていえば「靴」ですかね。
山城だから新しくトレッキングシューズとかを用意する必要はないと思います。
ただし、倒木とか岩場とか歩きにくい箇所が多々あるので、普段履き慣れている靴(滑らない靴が〇、足袋、下駄、ウエスタンブーツ等は✖)で歩くことをお勧めします。
お城歩きは無理なく、安全に行動しましょう。行ってらっしゃい。
足助城を推薦します。
てっきり「続日本100名城」に登録されているかと思いましたが、発掘調査等が行われたのが最近(1990年代)だったので登録されなかったのでしょうか。
復元された物見台や各曲輪は見どころ満載です。また城下の足助の街並みも落ち着いた雰囲気で素晴らしいです。
五街道に限らず北国街道や三国街道などの往還道(脇往還)、昔の人が歩いた街道の宿場町を歩きます。
馬籠宿や妻籠宿などの中山道、海野宿や柳町などの北国街道を早朝誰も通っていない宿場町を散歩すると何百年の前にタイムスリップしたかのように感じます。
「攻城数を稼ぐために有名スポットだけを観てすぐに移動、一日5城、6城巡って満足するのをやめなさい」と声をかけたいです。
お城の周りだけではないですがその土地でしか見られない色々な景色や文化などがあります。『落ち着いてまわれよ!俺‼』
金沢城はいかがでしょうか。金沢城は大変美しいお城ですが、家族全員がお城に興味があるとは限りません。
お城の他に名勝地とかグルメなどが楽しめる場所が近くにあると満足できるのではないかと思います。
「攻城団」がなかったら、人生がほんの少し?つまらないものになっていたと思います。元々、旅好き、史跡巡り好きだったので日本全国歩きまわっていたでしょうが「攻城団」に出会ってから行動範囲が広がり、出会う前ならまず行かないだろうという場所が増えました。そうした場所はお城だけでなく、日本の原風景に出会えたりするとちょっと得した気持ちになります。(汚い心もほんの少しきれいになった気がします)
現存天守12城は全部好きなのですが弘前城を選びました。2017年に訪問した時は石垣改修工事で天守が移動していました。当初は2021年頃に元の位置に戻る予定だったと記憶していますが現在も移動したままです。来年(2025年)あたりに石垣を伴った元の姿に戻ると聞いています。早く美しい本来の姿を見てみたいですね。
2024年訪問したいお城は多々あり選べないのですが、今まで行ったことのないお城は、団員の皆さんの投稿した写真を見て決めることが多くありました。今年も「きれいだ、美しい」と感じた写真を参考にして廻りたいと思います。
バッジは、うまくできているのか、自分だけなのか「あと1城(2城)でバッジ獲得です!」というものが多いので「あと1城(2城)」を狙います。
2024年も事故、怪我のないよう楽しい攻城をしていきましょう。
戦国時代の始まりは諸説あると思いますが(「諸説」は慎重に...)戦乱の世のきっかけは『応仁の乱』だと思うので、これを重大ニュース(ひとつだけ)とします。足利将軍家の後継者争いで細川勝元と山名宗全が東西に分かれて戦った乱は二人が死んでからも続き、京都は焼け野原になったと言います。京都を旅行すると「ここは応仁の乱で焼けた跡、再建されて。。。」と説明されることが何と多いことか。
両親が山梨県(塩山と甲府)だったので、甲府城が記憶の中で初めてだったのかと思います。当時甲府駅前には水晶の噴水があり、武田信玄像も現在の場所ではなく駅前通り、水晶の噴水の南側にありました。写真は現在の山手御門と小学生の頃に撮った水晶の噴水です。
松本城です。現存12天守で自宅から一番近いお城ということもあるし、日本アルプスを観る(登るのは、しんどいので嫌じゃ)のも好きなので何度も訪れています。四季を通じて色々な表情が見られるのも魅力です。関東圏、関西圏、どちらからでも3時間前後で行けるので行きやすいお城ではないでしょうか。
全国区ではないと思いますが、地元に近いので川越まつりをお勧めします。
毎年10月に開催され、小江戸川越の町を様々な山車が練り歩きます。
山車は蔵造りの通りや道が広くなった川越城本丸御殿の前も通るので見ごたえがあります。
やはり、一番最初に購入した「攻城団ロゴ」のシンプルなバッジです。
当初はバッジの種類も多くなかったと記憶していますが、それでもこのシンプルな
バッジが好きでした。かなり年季が入ってきたので再購入しようと思います。
筑後柳河藩初代藩主、立花宗茂を描いた小説を2つお勧めします。「無双の花」「孤闘」。秀吉から鎮西一の無双と言われ、徳川家康に改易されながら最終的に旧領を取り戻した唯一人の武将の一生を描いた作品で2作とも読みやすく、あっという間に詠み終わってしまいます。正室誾千代の描き方も微妙に違っていておもしろいですね。
天正14年(1586年)の岩屋城の戦いが印象深いです。薩摩島津氏が大友氏の家臣高橋紹運の守る岩屋城を攻めた合戦。味方が少なくなっても主人大友氏に忠誠を尽くしたこともありますが、立花山城の実子、立花宗茂を守る親心があったのではないでしょうか。2万(5万とも)対763名では勝ち目はありませんでしたが島津側は想像以上の兵を失ったため、鎮西制覇ができなかったとも言われています。
下請けの社長の息子が苦労、辛抱、成長して大企業の会長にまでなったイメージです。今川の下請けで人質に取られ、新興企業(織田信長)に親会社(今川)をつぶされますが、何とか織田と同盟関係(と言っても上下関係は明確ですが)となります。ところが若気の至りで敵対企業(武田信玄)にこっぴどくやられます。敵対企業は息子(勝頼)の時代に吸収しますが、上司(信長)は同僚(明智光秀)の裏切りで死んでしまいます。
今度はTOPに立てるかと思いきや、またもや同僚(羽柴秀吉)に先を越され辛抱を強いられます。この間の苦労、辛抱が良い経験となり「こうすれば人は動く(ついてくる)、動かない」の判断、タイミングなどを学び大企業の社長に成長し、これまたいいタイミングで会長(院政?)に退いたと思います。
東海道新幹線から確実に見えるお城は、小田原城、掛川城、清州城、佐和山城などが有名ですが中央本線(東線)も岩殿城、甲府城などがあります。かなりマイナーかと思いますが、茅野ー上諏訪間には上原城と桑原城の山城があり、茅野駅から行くと右側にそれぞれ看板が見えます。写真は中央本線から見た両城と上原城三の郭、金比羅神社からの眺望、今は亡きE351系スーパーあずさ。
天守と紅葉は、どのお城も photogenic ですが、
あえて天守のない百済寺城(滋賀県)をお勧めします。
宣教師ルイスフロイスをして『地上の楽園』と絶賛された紅葉は
例えようのない美しさです。
今年は秋が遅いので12月上旬でも充分楽しめるのではないでしょうか。
茶道、刀剣など高尚なものとは違いますが、マンホール(蓋)、側溝に興味を持ちました。お城巡りで各地を回りますが、マンホールとか側溝はその地域のお祭りだったり、ランドマークだったりをデザインした物が多く、その地域の歴史を知るものもたくさんあります。またお城をデザインしたマンホールも多く、見つけると得した気分になります。
戸次(立花)道雪と共に個人的には決して名君とは思えない大友宗麟を支えた高橋紹運を推します。島津の猛攻を受け最後まで防御の薄い岩屋城を死守、散った紹運の遺志は、その子立花宗茂に強く受け継がれていると感じます。
武田信玄-勝頼、真田昌幸-信繫あたりが戦国最強のイメージとして思い浮かびますが、高橋紹運-立花宗茂を推します。岩屋城、宝満城を捨て身で守り、散った高橋紹運、家康が最も恐れたとも言われる立花宗茂、もし立花宗茂が関ケ原に間に合っていたらと考えるとどうなっていたか。。。
お札になるには清廉潔白と伝わる人物が相応しいと考え、まず立花宗茂、その実父の高橋紹運、岳父の立花道雪(戸次鑑連)の3名を挙げたいです。人物紹介は昨年「最近のひとこと」で書いたので省略。ただこの3名を1万円、5千円、千円にすると一地方に偏りすぎるので採用されないでしょう。偏りついでに2千円は当然、誾千代です。
山城はだいたい麓から徒歩で登るので、竹田城など山頂にある城はどれもキツかったですが、最近登った福岡立花城がダントツでキツかったです。367mとそれほど高くはないのですが、まず麓から登山道入り口の案内板まで、次に一本杉までの登り15分ほど、最後に頂上(本丸)までの登り10分ほど。途中の見事な石垣などで元気が出ますが、石垣がなかったら引き返してたかも。と思うほどの登りでした。頂上からの眺望も素晴らしく登った甲斐がありました。(おつりがくるほど)
8月に賤ヶ岳城に行きましたが猛暑だったので賤ヶ岳リフトを使いました。往復チケットを購入すると団扇をいただけます。お城のチケットやパンフレットではないのですが綺麗な団扇だったので添付させていただきます。
羽柴秀吉方に参陣します。理由はどうであれ、主殺しには賛成できないですね。味方に付くと計算していた?細川藤孝、筒井順慶あたりも「主人を暗殺しちゃあ味方できんよ」と思ったのではないでしょうか。
長きに渡って毎日更新されていた団長公記(全体)が印象に残っています。毎日更新をやめてから2年ほど経ちますか? 記事も面白かったんですが土日も休まず毎日かなりの行数を書かれていたのはきつかっただろうなと思います。毎日だと話題(タイトル)も枯渇してくるだろうし、1~2週分はプールしていたとしても残り少なくなって話題も思いつかなくなったりすると焦るだろうし、2~3行じゃかっこつかないだろうし。(そんなことはなかったのかな?)
具体的な記事ではなくてすみません。ああ、京都新城の記事は良かったなあ。
昨年3月滋賀県のお城巡りをした際の写真で、夕方ホテルに戻り部屋の窓から見た夕焼けの彦根城がきれいだったでのアップしましたが、15分後夕陽が落ちた直後の彦根城も美しく、今回アップさせていただきました。
土塁は山梨県の谷戸城が印象に残っています。一の郭から四の郭、帯郭まで非常にきれいな土塁で囲まれています。また北は八ヶ岳、西は南アルプス、南には富士が一望でき城址と山々は美しいの一言です。
様々な石垣が堪能できる江戸城をおススメします。布積み、乱積み、算木積み、打込みハギなど多種多様な石垣が狭い?空間(皇居東御苑)に集まっているので効率的に見学することができます。また外濠を取り巻く三十六見附も石垣が相当数残っていて、「都会のど真ん中にこんな遺産があるんだ」と感心させられます。
バッジとなると安土城、江戸城に続くのは豊臣大坂城がGOODバランスでしょうが、以前のお題(天守再建)でも推しました高松城を再度。『失われし四国最大級の天守、目指せ!日本のモンサンミッシェル in 高松』と訪問した際にいただいたチラシに書かれていました。
主だった有名武将は主役、脇役で出尽くした感がありますが、前田慶次郎利益は出ていないのでは? 「天地人」で登場するうわさもありましたが結局出ませんでした。パチンコや創作小説 (どちらも面白いですが) の印象が強く、誕生年なども諸説ありますが、相当の傾奇者、教養人であったことは間違いないようです。前田利家との対決(水風呂)、秀吉との対決(猿面、髷)などはドラマ化にピッタリではないでしょうか。
経過、結果を知っているだけに負けるほうに参陣するのはつらいのですが大谷吉継、島左近の人間性が好きなので西軍です。生まれも育ちも武蔵国なので東軍に肩入れしたいところですが、この戦いにおいては東軍に大義名分が薄いように感じられますし、それほど好きな人物もいないので。
信長、秀吉、家康が活躍した天正年間が人気だとは思いますが、わずか一年にも満たない平治年間が印象深いです。武士の台頭は保元、平治あたりから始まり300年後の天正につながっていると考えると歴史の面白さを感じます。
桜の季節、紅葉の季節は、日本全国どのお城も写真映えして綺麗なので甲乙つけ難いですが、訪問した中では松本城、金沢城が一年を通して美しいと感じました。
9月に訪問した新発田城が良かったです。三階櫓などは陸上自衛隊の駐屯地となっていて入ることはできなかったのですが、見られる個所はよく整備されていると感じました。また観光ガイドの方々も大変親切で「人の整備」という部分で挙げさせていただきました。親切、丁寧な対応だったので新発田市観光協会のホームページにお礼のMailを出したところ、ガイドボランティア協会の方から直筆でお手紙をいただき、かえって恐縮してしまいました。
一番は2012年の平清盛。視聴率とか画面が汚いとか酷評されましたが、源氏=善、平氏=悪のイメージをいくらか払拭した作品だと思います。
お城関係でみると、2007年の風林火山。毎回最後に紹介される風林火山紀行を見て
山城の面白さを認識させられました。甲斐、信濃、駿河の攻城は、このコーナーが大きく参考になっています。
ほぼ100%一人で攻城します。最寄りまでは公共機関を使い、そこからは徒歩での移動で、一日20キロ以上歩くこともあります。そんなのに付き合う奇特な方は、そうそういないでしょ。でも歩いていると意外な発見もあるんですけどね。
豪華絢爛、安土城の幻の天守、豊臣大坂城、最大といわれる江戸城を見てみたいですが、個人的に3月に伺い署名した高松城の天守が再建されれば良いですね。実現性がありそうですし。
真犯人はわかりません、というか「ケネディ暗殺」のように明確に『信長を暗殺しろ』と命令した特定の人物、組織は存在せず『あらゆる意味で変化を極端に恐れるものたち』がいろいろな方面から情報を光秀の耳に入れ、結果実行させたというのが真相ではないかと思います。
秀吉とジョンソン、朝廷と軍事産業を支えた政府、マフィアと足利義昭、いずれも変化を求めていない人だったり組織だったりします。
『将来に対する不安、危機』(光秀本人の恨みや将来という短絡的なものではなく、朝廷、明智一族、その他) が犯行動機になっているのではないかと推察します。
変化には良い変化と悪い変化とがあると思いますが、信長の変化はどちらだったのでしょう。
攻城団を移用させていただいてまだ2年にも満たないですが、良い意味で『変わらない』ところです。全体のスタンスだったり、新しく入団された方、古い?方へのアプローチだったりが魅力であり、気に入っているところです。
『変わることで良くなるもの(悪くなるもの)』『変わらないことで良さを保っているもの』があると思っています。長く利用している個人的理由はスタンスだったり、アプローチだったりがブレなく入団当時と変わりないからだと感じています。今後もアプローチなどは変化なく、機能などは革新的変化を期待しています。自分勝手なお願いですみません。
撮影禁止、立ち入り禁止は当然のこととして、一番心掛けていることは「ほかの撮影者の邪魔をしない」です。料簡がせまく申し訳ないのですが撮影していて一番困るのは、絶好のポイントで立ち止まってスマホの確認をしている方を見ると
「何もそこで長々見なくても。。。」とイライラしたりもします。どこで見ても自由なんですが、自分はそういうことがないよう心がけています。
島左近。戦国武将は当然小説等でしか判断ができないのですが、その中で司馬遼太郎の関ケ原で描かれている島左近はとても人間味のある、柔らかい頭の持ち主で好感が持てました。「島の左近に佐和山の城」と言われるように石田三成は人を見る目はあったんだなあ。と思いました。島左近と大谷刑部が味方であったことは石田三成の財産だったと思います。
2017年は、月間10城以上攻めた計算で自分でも想像以上の活動に驚いています。
2018年は、今まで訪問して感動したお城をもう一度訪れるリピート活動にしたいと考えています。季節を変えて訪れ、また違ったお城の顔をみたいと思います。
2017年は150城以上訪城しましたが、10月に行った苗木城が一番記憶に残っています。
高所恐怖症なのですが展望台から見た景色が圧巻で、素晴らしかったです。
最低あと2回、雪のある景色と桜の季節に訪れたいと考えています。
川越城、金沢城は、街並みがいかにも城下町という雰囲気で好きです。
岩村城も山へ向かう坂道が情緒があり良かったです。
平清盛、土方歳三が好きなのですが平安、幕末なので、戦国時代では大谷刑部吉継が第一です。 〝義〝の人と言うと上杉謙信とかが挙げられますが、秀吉への義、三成への義は、謙信、景勝以上の義だと思います。
元々は城好きということではなく、単に歴史好きで史跡を巡っていてお寺もあれば、お城もあるというレベルでした。そんな中、史跡巡りで調べもの(と言っても個人的な趣味)をしている時に「攻城団」のページに出会いました。 皆さんが投稿された写真を見て、行ってみたいお城が増えていきましたが、お城ってどのくらいあるのだろうと検索して見ると「え〜〜〜❗️自宅の近くにこんなにあるじゃん‼️」ということになり、そこから史跡巡りのプライオリティがお城第一に変わっていきました。
ということで、城好きになったきっかけの半分は攻城団ということになりますかね⁉︎
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