別名 鶴ヶ城、若松城、黒川城、会津城
お知らせ 詳細
会津若松城は蒲生氏郷や上杉景勝など著名な大名が城主をつとめた城です。1643年(寛永20年)に保科正之が入封して以降は明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城として用いられ、幕末の戊辰戦争の際には会津戦争の舞台となりました。城址内には会津藩士である西郷頼母、秋月悌次郎らの石碑や銅像があります。現在の天守は1965年(昭和40年)に外観復元されたものですが、さらに2011年(平成23年)に黒瓦を当時と同じ赤瓦に復元しました。また、天守にあるシャチホコは瞳には2カラットのダイヤモンドが埋め込まれています。なお地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)と呼ばれています。
会津若松城を訪問した3736人の報告によれば、平均見学時間は1時間27分、平均評価は3.97点となっています。
目次
会津若松城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
会津若松城に関するデータ 情報の追加や修正
230.4 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
5重5階
25.15 m
11 m
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1593年(文禄2年)に蒲生氏郷によって築かれた天守は望楼型5重7階だったとされるが、1611年(慶長16年)に起こった大地震により大破した。その後、その倒壊材を用いて1639年(寛永16年)に加藤明成によって修築された天守は複合式層塔型5重7階(地上5階、地下2階)だったとされる(高さ29m、天守台石垣10.9m)。この天守は明治初年まで存在したが、1874年(明治7年)に取り壊された。現在の天守は1965年(昭和40年)に復元されたものである。当初は黒瓦での復元だったが、2011年(平成23年)3月に赤瓦に復元された。
蘆名直盛
着工 1384年(至徳元年)
1874年(明治7年)
蒲生氏郷、加藤明成
蘆名氏、伊達氏、蒲生氏(92万石)、上杉氏(120万石)、加藤氏(40万石)、松平氏(23万石)、保科氏(23万石)
石垣、土塁、堀
国史跡
天守、門、櫓、長屋
登録日:2013/11/17 17:35:45
更新日:2024/11/21 12:41:31
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年中無休
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