大垣城は「関ケ原の戦い」の際に石田三成らが入城して西軍の根拠地となった城です。その天守は戦前に国宝(旧国宝)に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の大垣空襲により焼失しました。現在ある天守は1959年(昭和34年)に外観復元されたもので、中は「関ケ原の戦い」についての資料館になっています。
大垣城を訪問した3053人の報告によれば、平均見学時間は55分、平均評価は3.37点となっています。
目次
大垣城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
大垣城に関するデータ 情報の追加や修正
10.4 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
4重4階
18 m
6 m
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1588年(天正16年)に一柳直末によって築かれた望楼型天守は、1596年(慶長元年)頃に伊藤祐盛により改築された。このときの天守が『関ヶ原合戦屏風』に描かれた3重天守と思われる。関ケ原の戦い後の1620年(元和6年)に松平忠吉によって複合式層塔型3重4階(4重4階の説もあり)に改修された。この天守は1936年(昭和11年)に国宝として指定されていたが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失した。現在の復元天守は1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリートで再築されたもの。この時点では窓や破風などの外観が焼失前と異なっていたが、2011年(平成23年)に往時にあわせて外観が改修された。
竹腰尚綱
着工 1500年(明応9年)
1873年(明治6年)
氏家直元、伊藤祐盛
竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、松平氏、戸田氏(10万石)
石垣、曲輪
市史跡
天守、乾櫓、艮櫓(外観復元)、門
登録日:2013/11/17 17:35:46
更新日:2024/11/26 03:26:07
大垣城の見所や歴史などを紹介します。
はじめまして、はらぽんと申します。大学時代には地質学を専攻しておりました。 初参加だった第6回団員総会においてお城と地質の話をしたところ「団員ブログに書けばいいのに!」とご意見いただいたので、ちょっと書いてみることにしま […]
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可
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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