大坂城(豊臣大坂城)は石山本願寺があった場所に豊臣秀吉によって築かれた城です。築城当時は最大かつ最強の城で「三国無双の城」と讃えられましたが、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」で豊臣氏の滅亡とともに焼失しました。その後、徳川幕府により新しい大坂城が築かれた際には全体に盛り土をしたので、豊臣大坂城の遺構はいまも地下深く眠り続けています。豊臣時代の石垣は平成元年(1989年)の大阪ドーンセンター建設の際に一部が発見され、建物脇に復元されています。
目次
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豊臣大坂城に関するデータ 情報の追加や修正
30 m( 28 m)
内郭:119 ha 外郭:452.1 ha
5重6階、地下2階
30 m
9 m
1585年(天正13年)に完成したとされる豊臣秀吉が築いた天守(高さは天守台石垣を含んで約39m)は、1614年(慶長19年)の「大坂冬の陣」、さらに4か月後の1615年(慶長20年)に起こった「大坂夏の陣」で炎上し灰燼に帰した。現在の大阪城天守閣の脇にある貯水池の地下が天守のあった場所。なお天守は当初、最上層のみ黒だったが、1596年(慶長元年)に起きた慶長の大地震で城が損傷し、それを修繕した際にすべて黒に変更したと推定される。
豊臣秀吉
着工 1583年(天正11年) 〜 竣工 1598年(慶長3年)
1615年(慶長20年)
豊臣氏
豊臣秀頼
石垣
石垣
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 輪郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 30 m( 28 m ) |
城郭規模 | 内郭:119 ha 外郭:452.1 ha |
天守縄張、天守形式 | 複合式望楼型 |
天守の階数 | 5重6階、地下2階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | 30 m |
天守台石垣の高さ | 9 m |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1585年(天正13年)に完成したとされる豊臣秀吉が築いた天守(高さは天守台石垣を含んで約39m)は、1614年(慶長19年)の「大坂冬の陣」、さらに4か月後の1615年(慶長20年)に起こった「大坂夏の陣」で炎上し灰燼に帰した。現在の大阪城天守閣の脇にある貯水池の地下が天守のあった場所。なお天守は当初、最上層のみ黒だったが、1596年(慶長元年)に起きた慶長の大地震で城が損傷し、それを修繕した際にすべて黒に変更したと推定される。 |
築城主 | 豊臣秀吉 |
築城開始・完了年 | 着工 1583年(天正11年) 〜 竣工 1598年(慶長3年) |
廃城年 | 1615年(慶長20年) |
主な改修者 | 豊臣氏 |
主な城主 | 豊臣秀頼 |
遺構 | 石垣 |
指定文化財 | |
復元状況 | 石垣 |
更新日:2023/12/03 03:25:08
豊臣大坂城へのアクセス情報 情報の追加や修正
なし
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | なし |
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