別名 琴浦城、尼丘城
尼崎城は1617年(元和3年)に入封した戸田氏鉄によって築かれた城です。一国一城令後の築城であり、本丸には4重4階の天守が築かれるなど、5万石の大名には大きすぎる居城でしたが、これは幕府が西国大名の監視を命じていたためです。1635年(寛永12年)に氏鉄が大垣城へ転封となると、替わって入封した青山幸成によって改修されました。1711年(宝永8)以降は桜井松平氏が城主をつとめ、そのまま明治維新まで残ったのですが、1873年(明治6年)に廃城となっています。2015年(平成27年)、旧ミドリ電化(現エディオン)創業者の安保氏が私財を投じて天守を建設することが発表され、2018年(平成30年)11月に尼崎市に寄贈されました。現在は尼崎城址公園内で一般公開されています。
尼崎城を訪問した1204人の報告によれば、平均見学時間は50分、平均評価は3.22点となっています。
尼崎城は尼崎藩の藩庁です。
目次
尼崎城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
尼崎城に関するデータ 情報の追加や修正
---
2.6 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
4重5階
24 m
---
1400 m2
1617年(元和3年)頃に戸田氏鉄によって築かれた天守は4重4階で高さは16.8m。1875年(明治8年)に城地が払い下げられ、1879年(明治12年)までに取り壊された。家電量販店ミドリ電化(現・エディオン)創業者の安保詮氏が施主となり、2016年(平成28年)12月から再建され、2018年(平成30年)11月30日に竣工すると尼崎市に寄贈された。一般公開は2019年(平成31年)3月29日。
戸田氏鉄
着工 1617年(元和3年)
1873年(明治6年)
青山氏でほぼ完成
戸田氏鉄、青山氏、松平忠喬
---
---
天守、石垣、土塀
更新日:2025/05/12 13:13:02
見学情報・施設案内 情報の追加や修正
天守内にあり
---
---
尼崎城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
尼崎城へのアクセス情報 情報の追加や修正
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
尼崎城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
尼崎城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
尼崎城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
尼崎城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
尼崎城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する