廃城令で取り壊され、145年ぶりに再建された尼崎城の天守についてまとめます。
江戸時代の天守
最初の天守は、1617年(元和3年)に入封した譜代大名・戸田氏鉄によって築かれました。
本丸の東北隅に建てられたこの初代天守は4重4階で、2重の付櫓を2棟付属させた複合式天守でした(本丸にはさらに3棟の三重櫓が建てられました)。
すでに1615年(慶長20年)に「一国一城令」が制定されており、全国各地の城郭が次々と破却される中で築かれた例外のひとつであることからも、幕府が尼崎の地を重要視していたことがわかります。
天守の規模は、東西(桁行)10間5尺4寸(約21m)、南北(梁間)8間3尺(約17m)で、天守台上から棟までの高さは55尺3寸(約16.8m)でした。
また外観は白漆喰総塗籠で、2重目から4重目に唐破風や切妻破風で装飾されていたことが絵図や明治初期に撮影された古写真からわかります。 1873年(明治6年)の廃城令後に払い下げられ、1879年(明治12年)までに取り壊されました。
復興天守
2019年(平成31年)3月29日に一般公開された天守は、4重5階の復興天守です。
この天守は家電量販店ミドリ電化(現・エディオン)創業者の安保詮(あぼ・あきら)氏が私財10億円以上を投じて再建したものです。2016年(平成28年)12月から工事が開始され、2018年(平成30年)11月30日に竣工すると尼崎市に寄贈されています。
天守前には芝生広場が設けられ、子どもが遊べるようになっています。
天守への入口は1階にあります。
(当時はおそらく付櫓から入るようになっていたと思われます)
天守内部
1階 尼崎まちあるきゾーン
1階は無料エリアとなっています。
「尼崎まちあるきゾーン」としてパネル展示コーナーとミュージアムショップなどがあります。
また床面には尼崎城周辺の歴史や観光スポットの紹介ビデオが投影されています。
再建にあたって寄付した方の芳名板もここに設置されています。
2階 尼崎城ゾーン
2階以上が有料エリアとなっています。
2階は近世尼崎城下体験コーナーとして、尼崎城歴史年表が壁一面にあります。
また二重附櫓の2階部分では「タイムスリップ尼崎城VRシアター」として幅10mの大画面に尼崎城下町をVR(バーチャル・リアリティ=仮想現実)で再現しています。
尼崎城は天守内外ともに写真撮影が全面OKとなっていますが、このVRシアターの動画撮影のみ禁止です。
そのほか火縄銃や剣術などをゲームで体験できるコーナーもあります。
3階 なりきり体験ゾーン
3階は「なりきり体験ゾーン」として、貸衣装を着て撮影できるコーナーがあります。
4階 ギャラリーゾーン
4階は「ギャラリーゾーン」として、現在は尼崎出身の城郭画家・荻原一青氏による「百名城手ぬぐい」が展示されています。
(今後、展示内容は変更されます)
5階 わがまち展望ゾーン
最上階の5階は展望フロアになっています。
タブレット端末が設置されており、江戸時代の尼崎城下町と見比べることができます。
復元天守ではなく復興天守なのはなぜか
再建された尼崎城の天守は復元天守ではなく、復興天守となっています。
これは再建場所が当時と異なる点、また外観も当時のものから改変されていることが理由です。
まず再建場所については、当時の天守位置から北西に約300mズレています。
これは跡地には尼崎市立明城小学校があるため、再建が困難だったために尼崎城址公園内に建てられました。またこの場所に再建するにあたって、「城らしさ」を演出するため、天守を左右反転させ、付け櫓の配置も変えています。
内部構造も当時の4階建てから5階建てになりました。
天守の分類(現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守の数) - 攻城団ブログ
現存天守や復元天守など天守の分類方法と、全国の天守があるお城を一覧にまとめました。