浜松城
浜松城

[静岡県][遠江] 静岡県浜松市中区元城町100-2


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.37(87位)
  • 見学時間:57分(100位)
  • 攻城人数:2711(23位)

天守曲輪

浜松城の天守曲輪はほぼ当時のまま残っています。
曲輪というのは、城や砦を石や土で囲んだ所をいいます。

現在は模擬天守井戸、そして2014年(平成26年)に復元された天守門があります。

石垣近くにはベンチも用意されていて、ゆっくり休めるようになっています。

浜松城の天守曲輪は丘陵のもっとも高い位置にあり、北東と南東の方向にはり出した菱形に近い形をしています。
周囲は低い土塁が巡らされ、その下には「鉢巻石垣」の石垣(下部は土塁で、上部だけが石垣)で守られています。東の大手側に天守門、西の搦め手側に埋門があり、内部は広場となっていました。

天守曲輪がある城は掛川城和歌山城など豊臣秀吉にゆかりのある武将が築いた城に見られるため、なんらかの関わりがあると想像されます。

天守曲輪(てんしゅぐるわ)
 浜松城の天守台周辺には、本丸とは別に天守曲輪と呼ばれる区画が築かれている。この天守曲輪の出入口として東に大手(おおて)である天守門(てんしゅもん)、西に搦手(からめて)である埋門(うずみもん)を配置している。
 浜松城の天守曲輪は東西56m、南北68mで、石垣の折れ曲がる角度が様々で、複雑な多角形をしている点が特徴である。これは自然の山の形を反映した結果と考えられ、石垣造りの曲輪としては古相(こそう)を留めた形といえる。また曲輪の外周には土塁が巡らされていたと考えられる。
 天守曲輪は掛川城、和歌山城等にも見られるが、類例は決して多くない。掛川城は浜松城第二代城主堀尾吉晴の同輩である山内一豊が、和歌山城は豊臣秀長がそれぞれ築いており、豊臣秀吉と深く関わる遺構といえる。
   

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 天守編

江戸城天守を再建する会の特別顧問をされている三浦正幸先生が書かれた著書で三浦先生のお話は講演会等でよくお聞きしているので、お城の構造について勉強したく手に取りました。前半は天守の外壁、窓、狭間、石落、そして基本的構造について詳細に解説されており、外壁の仕上げ、屋根、破風の形に格式の上下があることを知り、今後天守の見方が変わるように思えました。後半は現存12天守、失われた天守の詳細説明がされています。熊本城の宇土櫓が第一期普請で建てられた初代天守であることを初めて知りました。この一冊で天守の構造に付いてほぼ網羅していると思いますので、天守の構造について詳しく知りたい人にはお勧めです。なお、続編として「櫓・城門編」もあるようですのでそちらも読んでみようかと思います。

まーちゃんさん)

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