浜松城
浜松城

[静岡県][遠江] 静岡県浜松市中区元城町100-2


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.37(91位)
  • 見学時間:58分(93位)
  • 攻城人数:2247(25位)

浜松城の歴史

徳川家康が命名し、のちに歴代城主の多くが老中など幕府の重役に出世したことから出世城と呼ばれた浜松城の歴史を時系列でまとめています。

浜松城とは

浜松城は現在の静岡県浜松市中区に所在した平山城です。
三方原台地南東端の河岸段丘上に築かれ、南北約510m・東西約500mの城域をもっていました。
城の北側には切り立った崖と低湿地が広がり、東側から南側にかけては水堀が巡るという強固な防御能力を有しています。
標高約40mの天守曲輪を頂点とし、東側に向けて本丸・二の丸・三の丸が階段状に設けられていたことから梯郭式平山城と分類されることもあります。

浜松城[浜松城]
提供:浜松市 | 浜松城[浜松城]

浜松城の前身となったのは今川氏家臣・飯尾賢連が城主を務めたとされる曳馬(引馬・引間)城で、1514年(永正11年)頃の築城と考えられています。
この曳馬城には1551年(天文20年)、少年時代の豊臣秀吉が主家・松下氏に随行して訪問したことが記録されています。
現在の浜松城はこの曳馬城を取り込む形で築城されたもので、1568年(永禄11年)に家康が当城を攻略、1570年(元亀元年)の城普請で浜松城へと改称したことに始まります。
家康は同年、上杉輝虎(のちの上杉謙信)に宛てて太刀とともに浜松城の図を贈っています。

1571年(元亀2年)には家康長男・信康の元服式が行われ、観世宗雪(かんぜそうせつ)らを招いての能興行を開催するなど徳川氏の拠点的城郭としての存在感をもっていました。
1586年(天正14年)に家康は駿府城へとその拠点を移し、1590年(天正18年)には堀尾吉晴が城主の座につき大規模な改修を行いました。
浜松城の天守は、この堀尾氏統治時代に築かれたと考えられています。

1601年(慶長6年)には徳川連枝の松平忠頼が城主に就任。以降、松平氏をはじめとした名だたる大名が城主となっています。
1609年(慶長14年)頃には紀州徳川家の初代・徳川頼信の付家老となった水野重仲が、1619年(元和5年)にはのちに肥前国島原藩初代藩主となる高力忠房が城主となっています。
近世を通じて特筆すべき城主としては1817年(文化14年)に就任した水野忠邦です。地方勤務から幕閣として抜擢され、最終的には老中にまで昇りつめたことが知られています。

このように、浜松城主経験者には幕府中枢の役職者へと昇進した人物がいることから出世城とも呼ばれています。
1869年(明治2年)、浜松藩領は駿府藩へと組み込まれ、1872年(明治5年)には城の払い下げが決定されます。
1950年(昭和25年)に浜津城址が浜松城公園へと姿を変え、1958年(昭和33年)には復興天守を建築。翌1959年(昭和34年)に浜松城は市の史跡に指定されます。
2014年(平成26年)には天守門が復元、2017年(平成29年)に日本100名城のひとつに選定されました。

さくらの浜松城[浜松城]
提供:かんざんじ温泉観光協会 | さくらの浜松城[浜松城]

浜松城の歴史・沿革

西暦(和暦) 出来事
1514年(永正11年)頃 今川氏家臣・飯尾賢連が浜松城前身の曳馬(引馬・引間)城主に(推定)
1551年(天文20年) 少年時代の秀吉が、主家・松下氏に随行して曳馬城を訪問
1565年(永禄8年) 曳馬城が今川氏の攻囲を受けるが、陥落せず
1568年(永禄11年) 家康が曳馬城を攻撃、陥落
1570年(元亀元年) 徳川家康が曳馬城を取り込む形で城普請、浜松城と改称
同年 家康が上杉輝虎に太刀と浜松城図を贈呈
1571年(元亀2年) 家康長男・信康の元服式に観世宗雪らを招き能興行開催
1573年(元亀3年) 三方ヶ原の戦いで家康軍が浜松城から出陣
1577年~1581年(天正5年~9年) 浜松普請と呼ばれる浜松城の増改築を実施
1586年(天正14年) 家康が駿府城へ移転、土岐定政が浜松城番に
1590年(天正18年) 堀尾吉晴が浜松城主に、大規模改築を実施
1601年(慶長6年) 松平忠頼が城主に
1609年(慶長14年)頃 徳川頼宜付家老・水野重仲が城主に
1619年(元和5年) 高力忠房が城主に
1638年(寛永15年) 松平乗寿が城主に
1644年(正保元年) 太田資宗が城主に
1678年(延宝6年) 青山宗俊が城主に
1680年(延宝8年) 強風と大雨で浜松城各所に被害
1687年(貞享4年) 松平資俊が城主に
1729年(享保14年) 松平信祝が城主に
1749年(寛延2年) 松平資訓が城主に
1758年(宝暦8年) 井上正経が城主に
1817年(文化14年) 水野忠邦が城主に
1845年(弘化2年) 井上正春が城主に
1869年(明治2年) 浜松藩領が駿府藩に組み込まれる
1872年(明治5年) 浜松城の払い下げが決定
1950年(昭和25年) 浜松城址が浜松城公園に
1958年(昭和33年) 復興天守を建築
1959年(昭和34年) 浜松市の史跡に指定
2014年(平成26年) 天守門を復元
2017年(平成29年) 日本100名城に選定
このページに記載してある内容の大半は「戦国ヒストリー」編集部に寄稿していただきました。ありがとうございます!
   

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天地雷動 (角川文庫)

「長篠の合戦」を武田信玄の死から書き起こし克明に描く。勝頼は信玄の遺産である宿老たちを掌握できず苛立ち、家康は武田の圧力に対抗するため信長との同盟に神経をすり減らし、秀吉は信長の戦略を実現するために知恵を振り絞り奔走する。「鉄砲の三段撃ち」は武田軍が突撃してこなければ成り立たない。なぜ勝頼はそうしたのか、そこにいたる過程を様々な視点から描いていて見事だ。宮下帯刀ら戦の最前線に立つ地侍や足軽の戦いの様子も描かれている。また、長篠城、高天神城をはじめ数多くの城が登場し築城や攻城戦の様子が描かれている。

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