浜松城の天守台にはハートに見える形をした石があり、その石探しがちょっとしたブームになっているそうです。
わかりますかね。
この真ん中の石だそうです。ななめになってますが、いわれてみればハートに見えなくもないです。
じつはぼくも探したんですけど、最初はどれかわからなくてガイドの方に聞いて教えてもらいました。
「当時はハートなんてなかったし、こじつけですけどね」とおっしゃってましたが、こういう変わった形の石が見つかるというのは野面積みの良さですね。
(打込接ぎや切込接ぎではこういう石は使われないので)
天守台の案内板もありました。
天守台
浜松城の天守台は、一辺21mのややいびつな四角形をしていて、西側に八幡台(はちまんだい)と呼ばれる突出部がついている。また東側には、付櫓(つけやぐら)と呼ばれる張り出し部分があり、現在は復興天守閣への入口として利用されている。
浜松城の天守は第二代城主堀尾吉晴の在城期(1590頃)に築かれた説が有力だが、17世紀の絵図には天守が描かれていない事から、江戸時代前期には天守が失われていたと考えられている。昭和33年に作られた現在の復興天守閣は、天守台の大きさと比べると小さいものである。
かつての浜松城は、築城時期等から大きな屋根を持つ下層部の上に小さな望楼が載せられる「望楼型」であった説が有力である。その規模は天守台の大きさから推測すると現在よりも一回り大きい三重四階で、巨大な天守だったと考えられる。
埋門のそばに八幡台の案内板があります。
八幡台
ここは天守台の北西にあたり、五段の石段により天守台より高い。面積はおよそ四十m2(十二坪)あり、浜松城のなかで最も高い所(四十一・九m)である。
城を守る神社(たぶん八幡大菩薩)をおまつりした所だといわれる。
八幡大菩薩は武士の守り神として信仰された。