浜松城
浜松城

[静岡県][遠江] 静岡県浜松市中央区元城町100-2


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.47(73位)
  • 見学時間:1時間8分(61位)
  • 攻城人数:3365(22位)

本丸と二の丸

浜松城の本丸は天守がある天守曲輪から一段下がったところにあります。

本丸
天守閣が城の象徴なら、本丸は城の本拠地である。普通の城は天守閣をとり囲むように本丸が配置されているが、浜松城の場合は天守閣の東、約十七m下につくられた。
周囲を石垣で囲み、南に正門である鉄門があった。北には富士見櫓、南東のすみに二層の菱櫓を置いた。本丸内の建物についてのくわしいことはわからない。
HON-MARU
If the TENSHU-KAKU was the symbol of the castle, the HON-MARU was the center of the castle. The HON-MARU was so arranged as to enclose its TENSHU-KAKU in a typical castle; whereas in the case of Hamamatsu Castle it was arranged to the east of the TENSHU-KAKU approximately 17m below it. Stonewall was built all arouond the HON-MARU with the front gate made of iron, in the south. In the north there was a tower called the FUJIMI-YAGURA (Mt.Fuji viewing tower) and in the northeastern corner there was another tower called the HISHI-YAGURA. Not much has been known about the buildings in the HON-MARU.

現在、本丸跡には「若き日の徳川家康公の銅像」があります。

浜松城は三方ヶ原台地の斜面に沿い、西北の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、さらに東南に三の丸と、曲輪がほぼ一直線に並ぶ「梯郭式」の縄張となっています。

二の丸は本丸の一段下にあるエリアで、現在は浜松市役所と元城小学校体育館が建てられています。

二の丸
本丸の東に位置して土地も一段と低い。
ここは城主の家と浜松藩の政治をおこなう政庁があり、江戸時代を通じて藩の政治の中心であった。広さはおよそ五〇〇〇m2(一五〇〇坪)、主な建物は表御殿(藩の政治をする所)と奥御殿(城主の家)であり多くの部屋があった。
現在は市役所と元城小学校体育館が建てられている。
NINO-MARU
The NINO-MARU, one step less elevated, was situated to the east of the HON-MARU housing the castle lord's residence and Hamamatsu Clan's government office, which remained to be the center of politics for Hamamatsu throughout the Edo Period. The NINO-MARU covered an area of approximately 5,000 square meters (1500 tsubo). The main buildings included the OMOTE-GOTEN (outer palace where the clan's politics were effected) and the OKU-GOTEN (inner palace used as the lord's residence), plus many other rooms. These buildings were located near the present Hamamatsu City Hall and Motoshiro Elementary School's Gymnasium.

二の丸跡に降りると案内板がありました。

浜松城二の丸跡
 「二の丸」は、「本丸」の東側に位置し土地も一段低く、広さがおよそ四九五〇平方メートル(約一五〇〇坪)で城主の居館がありました。また、政庁も設けられていて江戸時代を通して藩政の中心でした。
 「二の丸」の主な建物は「表御殿」と「奥御殿」からなっていて、「表御殿」には藩の行政機関が置かれ、およそ一六五〇平方メートル(約五〇〇坪)ありました。唐破風(からはふ)の玄関の奥に広間と使者の間、正面奥に近習・年寄詰め所・祐筆所と並び、その左側に藩主が執政に使う上段の間と書院、右側には御用所・勘定所・勝手などの部屋がありました。
 「奥御殿」はおよそ三三〇平方メートル(約一〇〇坪)で、左側が藩主の居間、右側が湯殿(ゆどの)、小姓詰め所など計一五の部屋がありました。両御殿とも、生活と執務に便利なように細かく部屋割りがされていました。
 また、二の丸の北の広場には米蔵(こめぐら)があって、御城米蔵(ごじょうまいぐら)とか八千蔵(やちぐら)と呼ばれていました。西側には、二代将軍徳川秀忠の誕生屋敷跡ということで、享保元年(一七一六年)の絵図には誕生の松が描かれています。
 現在、二の丸跡地は浜松市役所・浜松市立元城小学校の一部となっています。
   

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