浜松城
浜松城

[静岡県][遠江] 静岡県浜松市中区元城町100-2


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.29(159位)
  • 見学時間:1時間2分(143位)
  • 攻城人数:1476(26位)

出世城

徳川家康が江戸幕府を開き、隠居先として駿府に入城したあと、駿府の西に位置する浜松城はおもに家康ゆかりの譜代大名が城主となりました。

おおむね5万石前後で、浜松藩政300年の間に、再任を含め、25代の城主が誕生しましたが、そのうち老中に5人、大阪城代に2人、京都所司代に2人、寺社奉行に4人(兼任含む)が登用されました。

歴代城主(藩主)の出世の状況(寛政重修諸家譜による)

歴代 西暦(和暦)城主役職
11570年(元亀元年)徳川家康江戸幕府初代将軍
21586年(天正14年)菅沼定政(城代)
31590年(天正18年)堀尾吉晴
41599年(慶長4年)堀尾忠氏
51601年(慶長6年)松平忠頼
61609年(慶長14年)水野重仲
71619年(元和5年)高力忠房
81638年(寛永15年)松平乗寿老中
91644年(寛永21年)太田資宗
101671年(寛文11年)太田資次寺社奉行
111678年(延宝6年)青山宗俊
121679年(延宝7年)青山忠雄
131685年(貞享2年)青山忠重
141702年(元禄15年)松平資俊
151723年(享保8年)松平資訓
161729年(享保14年)松平信祝大坂城代、老中
171744年(寛保4年)松平信復
181749年(寛延2年)松平資訓京都所司代
191752年(宝暦2年)松平資昌
201758年(宝暦8年)井上正経老中、寺社奉行
211766年(明和3年)井上正定奏者番
221786年(天明6年)井上正甫奏者番
231817年(文化14年)水野忠邦寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中
241845年(弘化2年)水野忠精
251845年(弘化2年)井上正春
261847年(弘化4年)井上正直寺社奉行、老中

「はま松は、出世城なり、初松魚」という松島十湖の句も残されています。
なかでもとくに有名な城主は、「天保の改革」の推進者で知られる水野忠邦です。唐津藩主時代に昇格のため、願い出て浜松藩主となり、頭角をあらわし、のちに老中となったといわれています。

余談ですが、この水野忠邦が願い出て浜松藩主となったという話にはおもしろいエピソードがあります。
唐津藩は表向きは6万石といっても実質は25万石相当の中大名クラスでした。当時、幕府の老中となるには、通常5万石以上の譜代大名という規定がありましたが、同時に井伊家など一部の例外をのぞいて中大名以上は要職につけないという方針があったため、唐津藩主の水野忠邦は自ら領地替えを申し出て、表向きも実質も6万石の浜松藩主になったそうです。

詳しくは『風雲児たち』(ワイド版16巻)でお楽しみください。

『風雲児たち』ワイド版16巻、P.265
   
この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

浜松城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)

Kindle版のほうで購入。現代語訳ですごい読みやすかった。織田信長に興味がある人は、よんでおいて損はしないと思う。流布している信長像がそれなりに脚色されているんだなってことも、わかった。

コースケ)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る