別名 黒内城

小鷹利城は小鷹利氏の重臣、牛丸重親の居城として知られています。もとは小鷹利氏代々の居城だったとも伝わりますが、1405年(応永12年)頃には牛丸氏が在城したようです。重親死後の1583年(天正11年)、三木自綱・広瀬宗域の連合軍に奇襲され落城すると、城主・牛丸又右衛門親綱は越前大野の金森長近の元へ逃げ込みました。その後、1585年(天正13年)に羽柴秀吉の命を受けた長近が飛騨に侵攻すると、親綱はその先方として活躍し、小鷹利城を奪還しました。ただし城は使われることなく廃城になったと思われます。現在城址には土塁や空堀、畝状竪堀群などの遺構を確認することができます。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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