2022年5月現在攻城団に登録されている東京都のお城は全て攻城し、現在は神奈川、埼玉、栃木、茨城、千葉に行動範囲を広げて攻城中。月一ペースで地方遠征を行い、日本100名城、続日本100名城のスタンプ集めに邁進中の山城大好きの初老のおやじです。
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検索ページ日本史の知識をアップデートするための勉強会で榎本先生が紹介された著書で、この勉強会の予習にもなると考え読んでみました。流れとしては現在の浅草周辺と江戸時代の浅草周辺を重ね合わせた中で、穢多、非人について詳細が書かれています。一般的に「穢多、非人」と続けて書かれることが多いですが、穢多と非人の違いをあまり理解していなかったのですが、江戸時代にはある程度の地位にあった方々であることが解りました。穢多は武士階級の誕生とともに生まれ、主として「穢れ」に関する仕事に従事し、軍事の手伝い、皮革の生産や罪人の管理などの役は、半ば公務員の様であって、その穢多の頭領として浅草弾左衛門がおり、この弾左衛門への幕府の手厚い保護がなされていた事を知りました。一方、非人は社会からはじき出された落ちこぼれ、なんの役にも立たないどころか、むしろ救済を他者にもとめる人々であり、浅草の車善七他四名の非人頭がこの非人たちを統括しており、幕府へのある程度の影響力を持っていたことを知りました。その他、さまざまな大道芸をおこない金銭を乞うた乞胸(ごうむね)、現代では「露天商」に当たる香具師(こうぐし)などが書かれていました。江戸時代の士農工商以外の身分について勉強したい方には最適な一冊だと思います。
図書館で歴史の本を見ていたら、面白そうな題名だったので読んでみることにしました。江戸中期後期にかけて村落規模での集団的な行動が多かったようですが、前期は個人や家族の規模で別の大名領や家臣知行地に移動する事を「走り」と言って、その人を「走り者」と言っていたそうです。その移動距離はせいぜい50~60キロメートルの範囲が多く、元は同じ地域圏内での移動が多かったようです。この著書では江戸前期の細川忠興、忠利が治めた豊前国細川領を主な対象として走り者の頻出と権力側の対応について書かれています。江戸幕府が開かれ世間が落ち着き大開墾時代を迎え、一人でも多くの百姓を確保しておきたい権力者同士のやり取りが理解することが出来ます。走り者の返還申し入れがあったら返すが、なければそのままにしておくというのがその当時の慣例であったようです。江戸時代前期の支配者と被支配者の関係をより深く理解するのに適した著書だと思います。
江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
お城の基礎知識を復習するつもりでこの本を手に取りました。思っていた通り序章は「城の基本」として天守の構造、形、デザイン、城の構造、その他の建物、施設(土塁、石垣等)、それに加えて築城の流れをイラストを加えてやさしく解説されています。その後は日本100名城、続日本100名城に登録されている有名なお城をイラストを加えて解説しています。「復元された城たち」「復興された城たち」の章を読み比べることによって、復元天守と復興天守の違いを理解することが出来ました。特に復興天守の現在の大坂城に付いて、徳川大坂城の天守台に豊臣大坂城が建っていると勝手に思っていましたが、実際は豊臣大坂城、徳川大坂城のどちらにも似ていないことを知りました。また、竜宮城をイメージとして作られ洲本城の模擬天守は大規模な修理をするにも復元考証をしなければならないので、天守の史料のない洲本城の大規模な改築、新築ができないとの問題を抱えていることも知りました。全体を通して知識があまりなくても読み進めることが出来るので、城めぐり初心者の方、またお城の基本を復習してい方へお勧めの一冊です。
「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
攻城団の最近登録された書籍を見ていて面白そうだと感じ、手に取り読んでみました。「下剋上」と言えば下の者が上の者を倒してのし上がる事程度の知識しかありませんでしたが、この書籍の中では下刻上でのし上がったと思われる歴史上の人物をあげて「下剋上」の内情を記載されています。「下剋上の典型」と言われていた伊勢宗瑞(北条早雲)に付いて、言い伝えられている事と実像との間にかなりの格差があることを知りました。何れの歴史上の人物も上を倒してのし上がるという単なる野望で行われたものではなく、自分の立場を守るためにやむにやまれず行った行為が結果的に主君を倒す、若しくは追放する結果になった事が良く理解できました。歴史上の人物として前述した伊勢宗瑞の他には長尾景春、朝倉孝景、尼子経久、長尾為景・景虎親子、斉藤利政、陶晴賢、三好長慶等の下剋上が書かれています。前述した武将がなぜ「下剋上」に至ったのか、また単純に「下剋上」について理解を深めたい人にお勧めの一冊です。
黒まめさんのレビューを見て手に取って読んでみました。最初に山城基礎講座として山城の基礎知識の他に山城歩きに必要なもの、縄張図の見方など、これから山城歩きを始めようとしている方には非常に有難い内容から始まっています。最初に山城の知識を得たところで、厳選された山城20城+αの解説がされています。各城はガイド人と言われる方が縄張図に基づきポイントとルートを丁寧に解説されています。紹介されている20城の内、中井均先生が4城、加藤理文先生が3城執筆されており、ここでも山城に対する熱い思いが伝わった来ました(両先生が書かれた「戦国の山城を極める」もお勧めです)。他の執筆者の方もその城の専門家らしく非常にわかりやすく書かれていますので、山城歩きには大変参考となる一冊だと思います。
榎本秋先生の著書「歴代征夷大将軍」を読み、征夷大将軍になれなかった人に興味を持ち、この本を手に取りました。この著書では征夷大将軍になり損ねた歴史上の人物として46名が紹介されています。その中に明智光秀は入っていませんが、同時期に生きた豊臣秀吉の方がその時の流れを的確につかんでおり、なり損ねたのではなく、なれなかった様に思えました。本書は平安末期から鎌倉時代、室町・戦国時代、江戸時代、及び幕末の4章で構成されており、自ら征夷大将軍にならなかった織田信長、豊臣秀吉を除き、徳川第15代征夷大将軍になりながら時既に遅しと感じられる幕末の徳川慶喜等なり損ねた歴史上の人物たちは何れも時代の流れに乗れなかった事が良く理解でき、現代社会でも良き教訓となるように感じられました。なお、この時代の人間関係は複雑ですが、清和源氏略系図、足利氏略系図、及び徳川氏略系図も記載されており、その当時の人間関係を知るのに大変役立ちました。
造船関係のエンジニアであった著者が蒙古来襲、秀吉の中国大返し、そして戦艦大和について技術者視点で書かれています。最初のテーマである蒙古来襲では、当時蒙古軍が使用していた船を推定(さすが元造船エンジニアと感じる)し、その船を用いることにより上陸地点、状況に付いて理論的な検討を加えて、文永の役での蒙古軍早期撤退の原因を筆者なりに導き出しています。次のテーマである秀吉の中国大返しに付いては、歴史上の記録について、2万人の移動に当たっての物資(食料、武器等)の移動を具体的に見積もり、通常ではいかに不可能に近い移動であったかを証明した上で、成功するひとつの方法として海路利用の可能性も検討されており、興味深い内容となっていました。最後のテーマである戦艦大和は無用の長物だったのかについては、たった3年4ヶ月の活躍で華々しい戦果は上げていないが、日本のモノづくりの技術力の礎となり、また日本人の精神的支柱にもなっており、無用ではなかったと訴えると共に現在の理科教育に警鐘を鳴らしています。歴史を勉強している方が違った目線で歴史を見てみたい方にお勧めします。
千田先生の書かれた著書はこれで3冊目で、今回は石垣にスポットを当てた内容でしたので、石垣に付いて勉強したくて手に取りました。最初に金沢城の石垣の作られた時期と石垣の違いについて解説されており、石垣も時代と共に変化していることが解りました。そして、江戸城をはじめとする石垣の名城7選が紹介されていて、各城の石垣について詳しく解説されています。後半は石垣の基礎知識として、石垣の歴史、石垣が出来る工程説明、石垣の積み方の説明が初心者の方も図入りで解りやすく書かれていますので、初心者の方、石垣の知識を整理したい人にお勧めの1冊だと思います。
千田先生の著書「城郭考古学の冒険」の中に今回の著書名にもある「江戸始図」をもっと知りたく手に取りました。これまで徳川家康の慶長期江戸城を描いた絵図として「慶長江戸絵図」があったが、残念ながら江戸城の詳細を読み取る事が出来なそうですが、「江戸始図」の発見で慶長期の初期の江戸城の建物や石垣をより正確に捉えることが出来るようになったとのことで、千田先生の興奮が伝わってきました。また、同時期に築かれた姫路城、名古屋城、徳川大坂城、そして駿府城が石垣を取り入れた城造りであったのとは対照的に、家康が居城としていた当時の岡崎城、浜松城は土づくりを主体とした城であり、現在の岡崎城、浜松城とは違うとの事です。なお、東京都内各所に江戸城の石垣が残っていることを知り、特に南北線市ヶ谷駅構内に当時の石垣が復元、展示されていることなどから、東京都内石垣巡りをしてみたいと思います。一方、後半は江戸の歴史と徳川家康の生涯と城に関して書かれており、地元東京の歴史を知ることの出来る一冊でした。
本書は戦国時代の築城から廃城まで、そして古城となってからその後について文献史学を中心に書かれています。筆者が東京生まれということなのか掲載されている城の史料が関東地方のものが多く、東京在住の私としては、訪問したことのある城名が多数出てくるので、過去の訪問記録、写真を見ながら読み進めました。城の維持管理として城内清掃について触れていますが、きれいにするばかりではなく城掟にて城内設備のメンテナンスも定められている事を知り、現在の5Sの一つ「清掃」に匹敵する考え方が戦国時代からあった事に驚かせられました。一方、古城については今まで耳にしたことのない城名もあり、城跡の数の多さに改めて驚かされました。また、古城のその後ですが再利用される場合も多く、再興される他に、陣所、村の城として利用されているケースの他、古城の城破りは形式的なものが多く再度城破りを行ったケースなども紹介されていました。城郭研究の楽しさや難しさを垣間見られる一冊かと思います。
テレビで良く見る千田先生の著書を読んでみたくなり手に取った1冊がこの「城郭考古学の冒険」です。まず城の歴史やその変遷について簡単に解説した後、城の鑑賞術として櫓、門、石垣、堀から歴史を読み取る方法が書かれており、今後の城跡巡りの参考になりました。そして織田信長、明智光秀、松永久秀、豊臣秀吉、徳川家康の築いた城の変化に付いて解説されており、特に松永久秀の信貴山城、多聞城については興味深く読ませて頂き、かつ久秀に対するイメージも変わりました。次に、世界の城と日本の城の比較として、外枡形、馬出し、及び畝状空堀群など共通している部分があることを知りました。また、お城のバリアフリー化についての提言も興味深かったです。最後に千田先生のお膝元の奈良県の中世城郭、近世城郭の対応についての提言が書かれていました。大学の先生が書かれた著書として一般の方は読みにくいのではと心配していましたが、読んでみると理解しやすい書き方、千田先生の人柄が表れた内容となっており、お勧めの一冊です。
「こんなに変わった歴史教科書」を探していて間違って(青春出版社の方、ごめんなさい)手に取った1冊です。たまには歴史以外の事もいいかと思い本を開いたところ、約半分が歴史に関する事でした。前出した本と平行して読んだのですが、こちらにしか記載されていない変わった内容も多数ありました。例えば、大化改新が乙巳の変、応仁の乱が応仁・文明の乱、縄文式土器が縄文土器、帰化人が渡来人、等簡単に変更になった経緯が書かれていました。重複している内容もありましたが、「こんなに変わった歴史教科書」と同時に読むと歴史教科書の変わったところがより多く知ることが出来ます。ちなみに、現在の高校の歴史教科書の内容を確認してみると、確かに書かれている通り変更になっていました。(歴史以外のその他の科目についてもホーと言わせる内容が書かれているので勉強になります。)
「狩野派と土佐派」の特別展示が根津美術館であり、何度も展示室を往復して狩野派と土佐派の絵画を見比べたが違いが良く解らず途方に暮れている時に美術館のミュージアムショップで手に取った本で、初心者向けの内容でしたので、試しに読んでみました。内容は仏教絵画から始まり、絵巻物、水墨画、障屛画、淋派、写生画、浮世絵について代表的な作品を例にして簡単に解説されており、誰でも読みやすい内容となっていましたので、初心者が絵画を鑑賞に行く時には、持って行くと役立つ一冊だと思います。なお、解説されている代表的な作品は東京国立博物館蔵が大部分を占めていますので、東京にお住まいの方は実際の展示絵画を見ながら解説を読むと理解も深まると思います。
大河ドラマ「晴天を衝け」のオープニングで徳川家康が「最近の教科書には”士農工商”が載ってない」との内容を聞き、今昔で歴史教科書のどのようなところが変わったのか興味を持ち、図書館で借り、読んでみました。構成は、古代、中世、近世、近代の4つの時代に別れて書かれています。古代については聖徳太子の画像、大和朝廷がヤマト政権、仁徳天皇陵が大仙遺蹟、最古の貨幣が和同開珎ではなく富本銭であること、中世では鎌倉幕府の成立年が1192ではないこと、元寇はモンゴル来襲となっており、且つ文永の役(1回目の来襲)が暴風雨が撤退の理由ではない説が有力であること、倭寇が実は高麗、朝鮮人が主力であったという見解があること、近世では士農工商、絵踏、島原・天草一揆の他、長篠の戦いでの鉄砲三段打ち、武田「騎馬隊」が史実として考えにくいこと、近代では戊辰の役が戊辰戦争、西南の役が西南戦争、日清・日露戦争など、1972年版と2006年版の記載内容の違いについて解説されていました。最近の新しい歴史常識を身につけるのに最適な一冊だと思います。
江戸時代の歴史を勉強していてもう少し深掘りして知りたいと思っていた時に見つけた本になります。内容は「武士の世界」、「庶民の世界」、「学問の世界」の三つで構成されています。「武士の世界」では武士道、切腹等が詳しく解説されていました。中でも、徳川吉宗が創設した「足高の制」はその当時としては画期的な制度ではなかったかと思いました。また、江戸幕府の大切な施策のひとつである参勤交代に関連して「高速、参勤交代」の映画についてのエピソードが記載されていましたが、当時の参勤交代1日に進む距離を考えると5日で江戸に行くのはそんなに難しくない事を知りました。「庶民の世界」については平和な世ならでの流行の一つに旅行があり、現在のコロナ禍で旅行も満足に出来ない状況を考えると、安全な旅行が出来ることこそ平和な世なんだなと感じました。その他には、江戸時代に庶民にも薬が浸透していき、富山の薬売りが今日まで続くことになります。「学問の世界」では江戸時代に入り儒教が実証的学問と実学志向に変わっていく様子がわかりやすく記載されていた。このように、江戸時代の事をもっと知りたい人に最適な本だと思います。
黒まめさんのレビューを見て読みたくなり、早速図書館に予約しました。最近の図書館はネットで本を検索して予約まで出来ちゃうのですから便利ですよね。2~3日で準備出来た旨のメールを頂いたので、テレワークの休憩中に受け取りに行きました。本の内容は5つの大きなテーマ(動物、植物、大地、人間、天地)に分かれており、それぞれのテーマで20項目が科学的な視点で紹介されており、江戸時代の庶民が創意工夫で便利にしたい、豊かにしたいという気持ちが伝わってきました。また、今では当たり前の様に考えていることが、江戸時代に考え出されたことが多いこと、また鎖国時代でありながら西洋の科学、考え方がかなり庶民の生活に浸透していることに驚きました。中でも「畳の縁を踏んではいけない」とは今ではマナーやモラルの次元で語られていますが、実は畳の反りによって縁には小さな段差が発生してそこに足を引っかけて転倒するから注意するようにという実用的な心がけであったことを知り、今でも言い伝えられている事柄が江戸時代では違った意味合いで使われており、目からうろこ的な内容でした。
攻城団のコラムを読んで面白そうなので、続きが早く読みたくなりました。歴代の征夷大将軍が簡単なエピソードを添えて紹介されています。内容は読みやすく、かつ面白く書かれているので短時間で読むことが出来ました。日本史をあまり知らない私が江戸時代以前に知っているのは古代では坂上田村麻呂、鎌倉幕府では源頼朝、室町幕府では足利尊氏、義満(金閣寺)、義政(銀閣寺)、義輝、義栄、義昭(大河ドラマ「麒麟が来る」を見て知った)ぐらいでしたが、他にも大勢の征夷大将軍がいたことをエピソード込みで知りました。それにしても将軍になっても自分の思い通りに物事を進められないジレンマに陥る場合が多いことを知り、その点は今の社会も変わらないな、と思います。前述した通り読みやすいので日本史知識がなくても楽しめる一冊だと思います。
戦国大名今川氏が支配していた駿河、遠州、三河の三ヶ国にある城郭を文献を検証して戦略的志向を読み取る事を目的として書かれた著書であり、日本史をチョットかじっただけの私では簡単に理解できない所はあったが、この本をきっかけに調べて理解できたような気がします。内容としては、今川家の歴代の当主の説明があり、今川館はどこにあったのかを文献から推定し、賤機山城(今川館の詰め城と言われているが・・・)、興国寺(今川・北条・武田の三者の同名の「場」としてふさわしい境目の城)、高天神城(海運・水運を視野に入れた「中継拠点」としでの役割を担った城)、吉田城(三河国内の各城を見渡す「センター」としての役割を担った城)についての今川氏の戦略的方向性が詳細な説明があり、今後城巡りをする上でその城がどのような目的で築かれたかを調べてみるのも面白いな、と感じました。なお、善徳寺城を攻城した際、「善徳寺の会盟」として案内板が掲示されていたのを覚えているが、興国寺のその当時の役割からしたらそのような事が行われたことは考えにくいと解説されていて興味深かった。
団長の紹介で図書館で借りて読みました。戦のない社会を目指す徳川幕府が目指す近世的城割と諸大名がこれまでやってきた中世的城割の違い、そして居城、端城、古城に対する徳川幕府の対応について勉強することが出来ました。徳川幕府が取り組んできた山城の破却、惣構えの城に付いては二ノ丸以下を全て破壊して更地させた小田原城の破却、大坂城の破却から福島正則の改易理由、島原・天草一揆前後の城割について古文書を交えて詳しく解説されています。一国一城令を詳しく知りたい人におすすめです。
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