足柄城は交通の要衝である足柄峠を押さえるために、大森氏によって築かれた城です。戦国時代には北条氏によって武田氏の侵攻に備えて修築されました。さらに北条氏は、1587年(天正15年)2月には豊臣秀吉の来攻に備えて足柄城を拡張し、北条氏忠が守将をつとめました。しかし山中城が落城すると、翌日には城兵は戦うことなく城を放棄して小田原城へ退散しました。現在は城址公園として整備されており、土塁や曲輪などの遺構を確認することができます。
足柄城を訪問した243人の報告によれば、平均見学時間は37分、平均評価は2.95点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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