岡豊城は四国の覇者、長宗我部氏の居城として知られています。長宗我部国親は岡豊城を足掛かりに土佐の有力大名へと成長しました。その後、国親の子・元親が1591年(天正19年)にあらたに浦戸城を築いて移ったため、廃城となりました。現在は石垣、曲輪、土塁、空堀、井戸などが残っており、国の史跡として整備されています。また、かつて曲輪があった場所には県立歴史民俗資料館が建てられており、長宗我部氏関連の資料が展示されています。
岡豊城を訪問した1169人の報告によれば、平均見学時間は1時間5分、平均評価は3.40点となっています。
目次
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高知県立歴史民俗資料館駐車場(無料、50台)
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読みました。2日で。あっという間でした。
歴代将軍を並べて読んでみると、いつの時代も権力闘争なんだなぁと思いました。そういった意味では鎌倉時代や室町時代に比べて江戸時代はまだ安定していたんですね。
室町は勘合貿易をやめてしまったあたりから、江戸は米価が下がりはじめたあたりから、将軍としての権力が弱まったように感じました。将軍家経済基盤が弱くなる→権力無くなる→倒幕に向かうみたいな感じ?
あと、鎌倉幕府vs朝廷で戦してたんですね。幕府が勝ったのなら何故朝廷を滅ぼさなかったのか、疑問も残りました。
どんな将軍だったかを知ることもできました。将軍という視点から日本史をおさらいする感じで楽しめました。
思ったこと並べたら長文になりました。すみません。次回はどんな切り口で来るか楽しみです。
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