安芸城は安芸氏の居城として知られています。安芸国虎の時代には西部に隣接する長宗我部元親との対立が激化して、国虎は一条兼定と結び、八流の戦い(八流崩れ)と呼ばれる長宗我部氏討伐の合戦を起こしましたが、逆に安芸城を攻められる結果となりました。落城後は元親の弟である香宗我部親泰が入城し、「安芸」を「安喜」と改め、阿波進攻の拠点として使われました。江戸時代に山内氏が土佐一国を与えられると、重臣の五藤為重をこの地に配しました。為重は居留地として安喜城を選びますが、1615年(元和元年)の一国一城令により城ではなく「土居」と称し、城を改修しました。現在、城跡には安芸市立の歴史民族資料館と書道美術館があります。
安芸城を訪問した264人の報告によれば、平均見学時間は45分、平均評価は3.30点となっています。
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歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
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