朝倉城は本山茂宗(本山清茂)によって築城された城です。茂宗は土佐北部から経済的に豊かな土佐中央部へ侵攻して勢力を拡大すると、朝倉城を築いて本山城から本拠を移しました。1562年(永禄5年)に長宗我部元親によって攻められると、本山茂辰はこれを撃退しましたが、周辺の諸豪族が長宗我部方に降ったこともあり、翌年には城を焼き払い本山城へ撤退しました。現在も城址には巨大な竪堀や横堀の遺構が残っており、主郭部は公園として整備されています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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