城山城は赤松円心の三男である赤松則祐が白旗城に代わる居城として築いた城です。もともとこの地には大和朝廷が唐・新羅の侵攻にそなえて築城した古代山城がありました。1441年(嘉吉元年)に起きた「嘉吉の乱」では赤松満祐が籠城し、山名宗全らの軍勢に攻められ落城しています。その後、戦国時代には尼子晴久が攻め落とし、播磨攻略の拠点として使用されましたが、尼子軍が撤退すると廃城となりました。現在城址には石塁など古代山城の遺構と、堀切など戦国時代の遺構がそれぞれ残っており、本丸跡には赤松一族らの供養塔があります。また毎年8月14・15日には赤松一族の霊を弔うための盆供養、さいれん坊主がおこなわれ、たつの市無形文化財に指定されています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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