沼田城は戦国時代には沼田氏の居城として、江戸時代には真田氏の居城として知られています。沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となっていました。豊臣秀吉による小田原征伐の後は真田昌幸の長男・真田信幸(信之)の居城となり、当時の関東の城としては最大規模であった5重5階の天守が築かれました。現在は沼田公園として整備されており、西櫓台と石垣、さらに本丸堀の一部がわずかに残っています。本丸跡には鐘楼が建設され、信幸の長男、真田信吉が鋳造させた城鐘が釣下げられています。また、信幸の妻であり徳川四天王・本多忠勝の娘でもある小松姫が「たとえ舅であっても敵である」と、「関ケ原の戦い」で敵対することになった義父・昌幸を追い返したという逸話があるのもこの城です。
目次
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沼田城に関するデータ 情報の追加や修正
400 m( 70 m)
内郭:-- 外郭:--
5重5階
16 m
1596年(慶長元年)に真田信幸が5重5階(4重5階あるいは5重6階の可能性もあり)の天守を築いたが、当時の関東の城としては最大規模であった。「正保城絵図」によれば天守石垣の高さは約16mだった。外様大名である真田氏の沼田城の存在は幕府にとって頭痛の種であったため、真田氏は1681年(天和元年)、真田信澄の代に改易され、1689年(元禄2年)には沼田城も天守をはじめ徹底的に破却された。
沼田顕泰
着工 1529年(享禄2年) 〜 竣工 1532年(天文元年)
1682年(天和2年)
真田信幸
沼田氏、本庄秀綱、猪俣邦憲、真田氏
土塁、堀、石垣、城門(移築)
市史跡
鐘櫓
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 丘城(崖端城) |
標高(比高) | 400 m( 70 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 独立式望楼型 |
天守の階数 | 5重5階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | 16 m |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1596年(慶長元年)に真田信幸が5重5階(4重5階あるいは5重6階の可能性もあり)の天守を築いたが、当時の関東の城としては最大規模であった。「正保城絵図」によれば天守石垣の高さは約16mだった。外様大名である真田氏の沼田城の存在は幕府にとって頭痛の種であったため、真田氏は1681年(天和元年)、真田信澄の代に改易され、1689年(元禄2年)には沼田城も天守をはじめ徹底的に破却された。 |
築城主 | 沼田顕泰 |
築城開始・完了年 | 着工 1529年(享禄2年) 〜 竣工 1532年(天文元年) |
廃城年 | 1682年(天和2年) |
主な改修者 | 真田信幸 |
主な城主 | 沼田氏、本庄秀綱、猪俣邦憲、真田氏 |
遺構 | 土塁、堀、石垣、城門(移築) |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 | 鐘櫓 |
更新日:2023/12/01 14:21:25
沼田城には「ご当地缶バッジ」「攻城団コラボチラシ」があります。入手場所など詳しくは城メモをご覧ください。
沼田城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 沼田公園駐車場(無料、78台) |
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