高崎城は徳川四天王のひとり、井伊直政の居城として知られています。もともとこの地には和田城と呼ばれる城がありましたが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に前田利家・上杉景勝らの連合軍に大軍をもって包囲され落城し、廃城となっていました。関東入封した徳川家康が中仙道や三国街道を抑える要衝であることから直政に築かせたと考えられます。江戸時代には譜代大名が城主を務めました。現在は高崎城址公園として整備されており、民間に払い下げられていた乾櫓と東門が移築復元されています。また、市内の長松寺にはこの城に幽閉されていた3代将軍徳川家光の弟である徳川忠長が自刃したという書院が移築されています。
目次
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高崎城に関するデータ 情報の追加や修正
96 m
内郭:-- 外郭:--
3重3階
12.67 m
天守に相当する御三階櫓は1619年(元和5年)に入封した安藤重信の代に築かれた。正確な建築時期は不明であるが、寛永年間の頃と推定されている。この御三階櫓は1877年(明治10年)頃まで存在したらしい。
和田義信
着工 平安時代末期
1871年(明治4年)
井伊直政、安藤重信
井伊氏、諏訪氏、松平氏、安藤氏
乾櫓、東門(移築)、土塁 水堀
群馬県重要文化財(乾櫓)
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭輪郭複合式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 96 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 独立式層塔型 |
天守の階数 | 3重3階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | 12.67 m |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 天守に相当する御三階櫓は1619年(元和5年)に入封した安藤重信の代に築かれた。正確な建築時期は不明であるが、寛永年間の頃と推定されている。この御三階櫓は1877年(明治10年)頃まで存在したらしい。 |
築城主 | 和田義信 |
築城開始・完了年 | 着工 平安時代末期 |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 井伊直政、安藤重信 |
主な城主 | 井伊氏、諏訪氏、松平氏、安藤氏 |
遺構 | 乾櫓、東門(移築)、土塁 水堀 |
指定文化財 | 群馬県重要文化財(乾櫓) |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 14:34:55
高崎城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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駐車場 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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