箕輪城は在原業平の子孫とされている長野業尚によって築かれた城で、たびたび城主が変わった城でもあります。武田氏に奪われてからは有力家臣である甘利昌忠、真田幸隆や内藤昌豊らが城主を務めました。さらに武田氏滅亡後は滝川一益の居城となりましたが、「本能寺の変」後には北条氏の城となりました。その北条氏も豊臣秀吉によって滅ぼされ、徳川家康が関東に入封すると箕輪城は井伊直政に与えられました。直政は箕輪城を近代城郭に改造したものの、わずか8年で廃城となりました。現在、城跡には空堀や土塁の一部が残るだけで建造物はひとつもありませんが、「郭馬出西虎口門(櫓門)」と「本丸西虎口門(高麗門)」のふたつの木造城門の復元が計画されています。
目次
箕輪城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
箕輪城に関するデータ 情報の追加や修正
274 m
内郭:-- 外郭:47 ha
長野業尚
着工 1512年(永正9年)
1598年(慶長3年)
武田氏、北条氏、井伊直政
長野氏、内藤氏(武田氏城代)、北条氏、滝川一益、井伊直政
石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 274 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:47 ha |
築城主 | 長野業尚 |
築城開始・完了年 | 着工 1512年(永正9年) |
廃城年 | 1598年(慶長3年) |
主な改修者 | 武田氏、北条氏、井伊直政 |
主な城主 | 長野氏、内藤氏(武田氏城代)、北条氏、滝川一益、井伊直政 |
遺構 | 石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/12/06 03:23:52
箕輪城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | あり |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
城メモと重複するスポットは表示していません。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
箕輪城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
箕輪城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する