正覚寺(しょうがくじ)は真田信幸の正室、小松姫(大蓮院)の墓がある寺です。
創建時期はわかりませんが、当初は現在の榛名町(旧根岸村)付近にあったとされ、1560年(永禄3年)に当時の沼田城主・沼田万鬼斎顕泰によって現在地に移されました。
1589年(天正17年)には真田家の家臣で名胡桃城の城代をつとめていた鈴木主水が、北条方の沼田城代・猪俣邦憲により城を奪われたことを恥じて、境内で自刃しました。
1612年(慶長17年)、小松姫から改めて現在地が境内として認められ、代々沼田藩に庇護されました。
境内の奥に小松姫の墓があります。
沼田市指定重要文化財大連院殿(だいれんいんでん)の墓
真田初代沼田藩主信幸(之)の夫人である大連院殿は、徳川家の重臣本多忠勝の娘で小松姫と呼ばれていた。家康は小松姫を養女として天正十七年(一五八九)に信幸に嫁がせた。翌年七月信幸は沼田城主となり、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の役において徳川方に従い、東軍に付くことになった。敵味方に別れた信幸と父昌幸、弟信繁(幸村)が佐野犬伏から上田に帰る途次に沼田城を訪れた際、入城を拒んだ大連院殿は女丈夫とうたわれた。元和六年(一六二〇)に病み、二月に療養のため江戸から草津へ来る途中の同月二十四日に武蔵野国鴻巣で没した。享年四十八歳。同所で火葬、分骨して、同所勝願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺にそれぞれ葬られた。法名は大連院殿英誉皓月大禅定尼。
- 指定年月日
- 昭和五十一年三月三十日
- 所在地
- 沼田市鍛治町九三八番地
- 所有者
- 正覚寺
この墓は総丈二七一センチの宝篋印塔。塔身に、「阿弥陀三尊(梵字)大連院殿 英誉皓月 元和六年庚申二月廿四日 施主敬白」の刻銘がある。相輪の蓮華が細かく屋蓋の彫りは強く、塔身・基礎は荘重な形で、江戸時代初期の宝篋印塔の特徴を良く表している。平成二十二年三月 沼田市教育委員会
この御霊屋の中に遺品が保管されています。
正覚寺の本堂は1866年(慶応2年)に火災で焼失し、1873年(明治6年)に再建されたものですが、徳川家の家紋があります。
賽銭箱にあるのは有名な三つ葉葵(徳川葵)ですが、ガラス戸にあるのは「丸に左離れ立ち葵」で葵祭で知られる賀茂神社の古い紋のようですが、よくわかりませんでした。
(住職に尋ねればよかったです)
1860年(万延元年)に建築されたと伝わる山門も沼田市の重要文化財に指定されています。
正覚寺の観光情報
住所 | 群馬県沼田市鍛冶町938 |
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本尊 | 阿弥陀如来 |