早期退職を機にお城巡りを始めて、攻城団員歴は3年目に入りました。
退職以前は1年の2/3はホテル暮らしで、旅行先にあるお城を訪ねていましたが、今はお城を訪ねるために旅に出るようになりました。
建築様式等難しいことはわからないので、頓珍漢なことも多々あるかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。
私、実はとある大名の末裔だそうなのです。(私自身はあまり信じてませんが)
だから、好き嫌い以前に城との縁を運命づけられていたのかもしれません。
「本」100名城、続100名城、「わくわく城めぐり」のいずれかもしくは全部。
「スーパーのレジ袋」サイズ違いで数枚(靴を入れたり、ゴミを一時的に入れたり、雨具にしたり、もちろん買い物にも)
「双眼鏡」展望台での順番待ちの時間がもったいないから。
あとはお城に限らずですが、他の方は持って歩きそうもないものだと
「緊急時用の呼子笛」(各種慢性疾患持ちです)
「iPadと予備バッテリー」(指が太いのでスマホは通話専用。写真はスナップ程度なのでiPadでOK)
「除菌ウェットティシュ」(座敷に上がる前後に足の裏を拭きます)
夏は虫除けスプレーか蚊取線香(痒がりなのです)、日焼け止め。
冬はつま先用カイロと各種防寒具。耐寒性耐水性でスキーグラヴ、(髪やパンツの裾のバサつきを押さえて安全に暖かく歩けるよう)ニット帽とレッグウォーマー、耳まで覆えるネックウォーマーで、ほぼ「不審者」状態で歩いてます。
萩城です。
初夏だったので、町中に夏蜜柑の花の爽やかな香りが立ち込めていました。
子供の頃の思い出のお土産は会津若松で買った『会津絵蝋燭』でした。
小学生の遠足のお小遣いでは小さな一対を買うのがようやくでしたが。
大人になってからは「笑いが取れる」を第一に、「食べて美味しい」ものを選んで、宅配便の伝票には毎回「食品」とだけ書いて送ります。
今までで一番ウケたのは熊本の「文旦」(特大サイズ3個)と萩の「夏蜜柑丸漬け」です。
藤堂高虎です。
「この人について行けば食いっぱぐれはないな」と(笑)
仕える先、仕える先、負け続けですが、
拾う神が必ず現れて、最後には笑ってますので。
現代で言えば、入った会社が次々に倒産するけれど、
ヘッドハンティングの引く手数多で、部下も引き連れて転職に成功し、
最後は社長・会長職まで務め、後事は子に託して悠々自適の老後という
理想的な人生は部下として見習いたいと思えます。
ちょっと毛色の変わったところで
佐倉城の歴博「くらしの植物苑」。
戦国の人々はこんなものを食べていた、こんなもので衣服を作ったり、染めたりしていた、と往時を偲ぶことができます。
連れを待たせない。これにつきます。
実行犯は勿論光秀ですが、
黒幕は信忠・信松尼(松姫)夫妻だと思います。
彼らは弟すら殺した信長をよく知っています。
自分たちも安泰とは限らないし、
松姫も父を殺した信玄の子です。
そこで、家臣団の中の不満分子の筆頭と思しき光秀を上手いこと焚きつけたのだと思います。
で、無事跡目を継ぐ筈が、(信忠にとっては)手違いが起きた。
焚き付けられたフリをした光秀に逆に嵌められたわけです。
光秀は目論見通り、織田家乗っ取りに成功したと思ったが、今度は光秀にとっての手違いで、「お館様の敵討ち」の大義名分を振りかざした秀吉に、美味しいとこを持って行かれた、
というのが真相ではないでしょうか。
なので、もし信忠が当初の計画通り生きていれば、信長は死んでも、秀吉の中国大返しもなく、信長の敵は信忠が取って、光秀はやはりボツ。
信忠により織田の天下が続いていったと考えます。
あったかどうかわからないけど、津和野城。
岩国城へ行った時に食べた「瓦そば」。
瓦そばは周防のと長門のはちょっと違いますが、岩国の方のが私好みでした。
姫路城です。意外ですよね?
世界自閉症啓発デーのイベントに参加し、年に数回しかない青くライトアップされた城を見ねばならぬと意気込んで行ったのです。
ただでさえ、桜の季節は混むのに、イベントが週末に重なるし、平成の大修復直後で
押すな押すなの大盛況。人に酔いました。
しかもホテルが取れず、寝台特急で帰って来るハメになり、帰宅後は寝不足の大ダメージが。
体力的にもお財布にもキツいお城となりました。
浅井長政と江
戦国時代のみならず、21世紀になっても子孫が途切れていない。(皇室にもその血脈は受け継がれている)
横手城です。
模擬天守ではありますが、窓が非常に個性的。
スロープカーがあるのも、21世紀の開かれたお城らしくていいと思います。
坂上田村麻呂。
元祖だから。
これは迷うなぁ。
とりあえず、行ったことのある三つで
平戸城、島原城、福江城にします。
離れ島にある城は珍しいので、福江を入れましたが、対馬も捨てがたいし、歴史的見地からは原城も外せないので、本当に迷いました。
高岡城 松倉城 城端城
を推します。あえて富山城は入れませんでした。
大抵のお城へクルマでそこ目掛けてまっしぐらに進んでいくので、「チラ見え」となると、やはり新幹線などの列車からということになりましょうか。高速道路でよそ見は危険なので、嫌でも視界に入ってくる首都高環状線内回りの江戸城くらいしか印象にありません。
鉄道では東海道・山陽新幹線では小田原、熱海、姫路の各駅付近とお城ですね。
在来線だと白河駅付近で白河小峰城。
江戸城しか考えつきませんでした。
熊本城です。
築城名人清正の城で、「難攻不落」の代名詞。
攻めても守っても隙がなく、籠城戦への備えも万全。
西南の役で西郷隆盛を撃退し、今世紀に入ってもあの大地震を堪え忍び、県民の心の支えとなっているところも素晴らしい。
まさに最強と言って差し支えないと思います。
「ザ・狸親父」です。
烏城と呼ばれる岡山城です。
松本城の方が黒いと思うんですが、烏城というと岡山城なのはなぜなのか不思議で……
ありすぎてどれをあげてよいやら迷いますが……
十代の頃に読んで、すっかりはまってしまったのは
司馬遼太郎の「風神の門」と「城塞」の2作。
その後「播磨灘物語」にシフトするもこちらは挫折しました(笑)
城とはほとんど絡みませんが、女性の側から見た世の中という意味では
今東光の「お吟さま」は興味深いと感じました。
このお題を出した者です。皆様、御回答ありがとうございます。
多分お答えは「白鷺城=姫路城」が一番多いだろうと予想しています。
実は私が思い浮かべている城は「猪苗代城」です。世に「亀」と名のつくお城は複数ありますが、真っ先に浮かぶ「亀ヶ城」がここ「猪苗代城」です。
というのも、会津若松の鶴ヶ城に社会科見学に行った際、「ここ鶴ヶ城に対して、『亀ヶ城』もあるんですよ」と教えてもらってから、かれこれ50年、ずっと気になっていながら訪れたことがないためです。
今は皆様の投票から「亀ヶ城」シリーズや「動物城」シリーズのバッジができたら楽しいんじゃないかと勝手に想像して楽しんでいます。
「星型要塞」のバッジです。
デザインでいうと「さくらの名城」と同率首位ですが、
リスト的には星型要塞なので、こちらを選びました。
戸切地陣屋です。
所在地は僻地でも孤島でもありませんが
作られた時期、目的を考えると、まさしく「なぜここ?」でした。
お題を出した者です。
春は桜、夏は蛍、秋は紅葉、冬に雪というのが相場なのではないかと思いますが、
私の推す「小峰城」はちょっと違います。
春というか初夏と秋が「薔薇」です。
夏は花火、冬は雪なのです。
他にはやはり肥後六花+銀杏黄葉の美しい「熊本城」です。
春の椿に始まり、夏の芍薬、花菖蒲、秋の朝顔、菊に黄葉
とどめに冬の山茶花と花が絶えないお城は他に例を見ません。
お城を訪ねる際には、縄張りや建造物ばかりでなく、花鳥風月とのコントラストやハーモニーの美しさも楽しんでいます。
行ってみたいのは、バッヂに挑戦中の龍岡城(まもなく閉校になるそうなので、条件に当てはまらなくなります)ですが、
行ったことがある中から選ぶなら、五島の「石田城」です。
ほとんどの城は攻められにくいよう、雨の時は特に足場が悪くなるように作ってありますから、困ったな……
まずは、側に建つタワーから濡れずに眺められる函館の五稜郭。
雨に濡れる花菖蒲や紫陽花が美しい熊本城、
お濠の蓮の葉に落ちる雨粒が綺麗なので、夏の島原城も悪くないと思います。
二条城は元々別荘・迎賓館として建てられたので、庭や内装に注目ですね。
No14のお題と同じ回答で申し訳ないのですが、やはり佐倉城内にある歴博「くらしの植物苑」です。
口コミにも書きましたが、武具馬具等が多い城付属資料館と違い、国立の歴史民俗博物館ですので、上代からの展示品も少なくない本館はもちろんなのですが、特に植物苑がおすすめです。
ここではその当時の人々の衣食住と植物がどのように関わっていたのかを、実際の植物を通して垣間見ることができます。
観察会や苗などの頒布会も開かれるので、江戸時代の浪人の皆様の内職のお陰で大人気となった「朝顔」はとりわけお勧めです。
千葉(といっても国府台辺ですが)に生を受けた者としては、やっぱり本多忠勝かなぁ。
ちなみに後に彼が所領とした夷隅川流域では、Gのことを方言で「ヘイハチ」と呼ぶ地域と「ハヤゾウ」と呼ぶ地域があります。
皆さん挙げられてる松江城ですね。
なんと年間パスポートもあり、2回というか2日以上乗るなら、1日乗り放題券×2日よりもお得です。バス代わりにもなりますし、便数も多いので、堀端を歩いていると次々とすれ違い、「あ、また『クルーザー』が来た」と言ったら、近くにいた外国人の方に笑われました。
天然の水堀=川込みのクルーズだと、萩城のものが風情がありました。
乗ってみたいのは、姫路と大阪と駿府です。
春夏秋のお祭りや武者行列などはおそらく皆様よくご存知なので、毛色の変わったところで「冬」のお祭りを3つ。
横手の「かまくら」。
「甘酒あがってたんせ」と子供たちが水神様をお祀りしたかまくら。そこで受けるお接待はいいものです。
弘前の「えんぶり」。
雪景色の中の祭りは幻想的ですよ。
長岡の「ほんやらどう」(呼び名は色々あります)。
長岡に限らず新潟県内の特に稲作が盛んな地域で行われています。
豊作を願って子供たちが害虫や鳥を追い払うお祭り。
木の枝などを地面に打ち付けて「ほんやらどう」などと声を掛けながら練り歩きます。
この行事、実はインドに起源があるとする学説もあるとか。
生まれたのが国府台城(市川市)の丸の内だったので、ここが最初?(笑)
自分で歩いて行ったのは、日比谷で母や幼稚園のお友達と子供向けのお芝居を見た後、皇居前広場で遊んだのが最初になると思うのですが、江戸城は幼稚園児の「お城」という概念には当てはまらず……
「城へ行く」という自らの明確な意志を持って、最初に訪ねた城は白河小峰城ですね。毎年2回春と秋に薔薇園目当てで行ってました。ただ、その当時は新地山館に住んでいたので、毎日の学校からの帰宅=登城だったわけで、今思うと、生まれた時からお城漬けの人生なのかも。
堺にて大量破壊兵器タネガシマの量産開始。
「伝来」ではなく、「国産化」され、「量産」され兵士に行き渡ることになってはじめて鉄砲はその威力を発揮したわけです。また、経済の面からも、堺に富が集中し、町衆による自治自由都市堺が構成されていくための布石となりました。
本能寺にて信長死亡。
真の戦国時代はここからだろうと。足利幕府の崩壊による絶対権力者不在状態を終結させた信長ですが、その後の体制を完全に構築しないうちに討たれてしまったことで、かえって「今日的な政局の混乱」が引き起こされたと言えましょう。
淀と秀頼、大阪城と運命を共にす。
これで織田・豊臣支配の終了=戦国時代が終わったと誰もが認識したと考えたと言って良いと思います。
未攻城のところでは根室のチャシ群、金田城、能島城、甘崎城、龍岡城、河原城。
特に甘崎城は大潮の日に歩いて渡ってみたい。
再訪したいのは福江城、大洲城、
(これ、書くと顔バレしそうで恥ずかしいので、本当は秘密にしておきたかった)
獲得を目論んでいるバッジは難易度Bを1つ、Cが2つくらいです。
あとはお題を一つ採用されること。
「利用する上で」だと「口コミ」は「なるべく投稿する」くらいしかありません。
逆に「攻城」の際にはお城に関しての口コミ、特にアクセスに関して、すごく重視してます。
未訪問が5というなんだか中途半端なときに答えるので、両方書きますね。
好きなのは「松江城」です。内部の床のすり減り加減や隙間のあき具合など、いかにも「現存」という味を感じます。画像は天守を見上げる堀尾吉信公像。
行ってみたいのは「備中松山城」。辿り着くだけでひと仕事な上に、天守最上階までとなると想像するだに大変そうですが、城主さんじゅーろー様にもお目もじいたしたく(笑)、天候や路面状況が良さそうな時期はいつだろうかと、悩んでいます。
頼りになる先輩。
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