栗橋城は古河城の支城として、古河公方の重臣・野田氏の居城でした。野田氏はもともと古河城の城主でしたが、1455年(享徳4年)に第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉を放棄し、下総古河を本拠地としたため、自身は栗橋城に移って成氏を支えました。その後、永禄年間(1558年〜1570年)、野田景範が城主のときに北条氏により城は接収され、北条氏照の北関東攻略の拠点として利用されました。徳川家康の関東入封後は小笠原秀政が古河城修復の間、一時居城としましたが、修復が終わると廃城となりました。現在城址は東側のみ土塁や水堀などが確認できます。
栗橋城に関するデータ 情報の追加や修正
12.8 m
内郭:-- 外郭:--
野田右馬助か
着工 長禄年間(1457年~1460年)か
1590年(天正18年)
野田弘朝、野田景範、北条氏照、小笠原秀政
堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 12.8 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 野田右馬助か |
築城開始・完了年 | 着工 長禄年間(1457年~1460年)か |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 野田弘朝、野田景範、北条氏照、小笠原秀政 |
遺構 | 堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 03:35:32
栗橋城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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