栗橋城は古河城の支城として、古河公方の重臣・野田氏の居城でした。野田氏はもともと古河城の城主でしたが、1455年(享徳4年)に第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉を放棄し、下総古河を本拠地としたため、自身は栗橋城に移って成氏を支えました。その後、永禄年間(1558年〜1570年)、野田景範が城主のときに北条氏により城は接収され、北条氏照の北関東攻略の拠点として利用されました。徳川家康の関東入封後は小笠原秀政が古河城修復の間、一時居城としましたが、修復が終わると廃城となりました。現在城址は東側のみ土塁や水堀などが確認できます。
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アイヌ民族についてこれまで「シャクシャインの戦い」「地図で見るアイヌの歴史」を読んできましたが、もっと知りたいと思いこの著書を手に取りました。この著書にはアイヌと認識される前の北海道に付いても記載があり、北海道式古墳というものがあることを北海道に22年間住んでいたにもかかわらず初めて知りました。現在の歴史の教科書にも記載のあるシャクシャインの戦いに対して弘前藩も出兵をしており、アイヌ勢と直接戦うことはなかったが、その当時弘前藩内には津軽アイヌの方々が生活しており、彼らは出兵の手助けをしたり、更に兵として参加していたという記録があるそうです。明治以降は日本とロシアとの政治的駆け引きに翻弄されるアイヌ民族を目の当たりにすると共に、この日本も決して単一民族国家では無いことを再認識させられる一冊でした。
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