障子ヶ岳城は1586年(天正14年)の豊臣秀吉による九州征伐で、小早川隆景と黒田孝高によって攻め落とされた城です。九州征伐では宿舎として利用され、秀吉も入城しました。もともとは1336年(建武3年)に足利尊氏の命により足利駿河守統氏が築いた城で、田河道・秋月道が通る要衝の位置にあったことから度重なる戦乱の舞台となりました。九州征伐後は豊前に入った孝高の持城となり、添田雅楽介が城主をつとめましたが、「城井鎮房の乱」に加わったため廃城となりました。現在城址には土塁や堀切などの遺構が良好に保存されています。また登城口は味見桜公園のほか数カ所あります。
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