沼田城は戦国時代には沼田氏の居城として、江戸時代には真田氏の居城として知られています。沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となっていました。豊臣秀吉による小田原征伐の後は真田昌幸の長男・真田信幸(信之)の居城となり、当時の関東の城としては最大規模であった5重5階の天守が築かれました。現在は沼田公園として整備されており、西櫓台と石垣、さらに本丸堀の一部がわずかに残っています。本丸跡には鐘楼が建設され、信幸の長男、真田信吉が鋳造させた城鐘が釣下げられています。また、信幸の妻であり徳川四天王・本多忠勝の娘でもある小松姫が「たとえ舅であっても敵である」と、「関ケ原の戦い」で敵対することになった義父・昌幸を追い返したという逸話があるのもこの城です。
沼田城を訪問した1691人の報告によれば、平均見学時間は50分、平均評価は3.14点となっています。
沼田城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
沼田城に関するデータ 情報の追加や修正
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400 m( 70 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
5重5階
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16 m
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1596年(慶長元年)に真田信幸が5重5階(4重5階あるいは5重6階の可能性もあり)の天守を築いたが、当時の関東の城としては最大規模であった。「正保城絵図」によれば天守石垣の高さは約16mだった。外様大名である真田氏の沼田城の存在は幕府にとって頭痛の種であったため、真田氏は1681年(天和元年)、真田信澄の代に改易され、1689年(元禄2年)には沼田城も天守をはじめ徹底的に破却された。
沼田顕泰
着工 1529年(享禄2年) 〜 竣工 1532年(天文元年)
1682年(天和2年)
真田信幸
沼田氏、本庄秀綱、猪俣邦憲、真田氏
土塁、堀、石垣、城門(移築)
市史跡
鐘櫓
登録日:2013/11/17 17:35:50
更新日:2024/11/21 15:03:40
沼田城の見所や歴史などを紹介します。
沼田城へのアクセス情報 情報の追加や修正
沼田公園駐車場(無料、78台)
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