延沢城は「最上八楯」のひとつに数えられた野辺沢氏の居城です。野辺沢(延沢)光昌は最上氏に従って「長谷堂城の戦い」や庄内退治などに参加しましたが、1622年(元和8年)に「最上騒動」により最上氏が改易となると熊本藩・加藤氏に預けられ、熊本にて病没しました。最上氏に代わって鳥居氏が山形へ入部すると、家臣の戸田玄蕃が城番をつとめましたが、1667年(寛永7年)に廃城となりました。現在城址は石積、土塁、堀切といった遺構のほか、食い違い虎口なども確認できます。登山道は居館跡とされる常磐中学校のところに入口があります。また、野辺沢氏の菩提寺である龍護寺の山門は三の丸大手門を移築したものです。
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297 m( 100 m)
内郭:-- 外郭:--
野辺沢満重
着工 1547年(天文16年)
1667年(寛文7年)
野辺沢氏(延沢氏)、戸田玄蕃
曲輪、土塁、空堀、堀切、虎口、枡形、櫓台、土橋
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 297 m( 100 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 野辺沢満重 |
築城開始・完了年 | 着工 1547年(天文16年) |
廃城年 | 1667年(寛文7年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 野辺沢氏(延沢氏)、戸田玄蕃 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀、堀切、虎口、枡形、櫓台、土橋 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:37:38
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) | |
アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 常盤公民館の駐車場を利用可能 |
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