別名 小田島城、東根陣屋

東根城は東根氏の居城として知られています。斯波氏の一族で天童頼直の子である坂本頼高が東根氏を名乗ると、その後7代つづきましたが、1584年(天正12年)に東根頼景に代わって里見源左衛門景佐が城主となりました(景佐は頼景の弟の説もあり)。景佐は最上義光に従い、城を拡張し城下町を整備しましたが、1620年(元和6年)に景佐が死去した2年後に最上氏は改易され、里見氏は阿波の蜂須賀氏預かりの身となりました。その後は山形城主・鳥居忠政の支配下となり、1661年(寛文元年)に城は破却されて二の丸跡に代官陣屋が築かれ、さらに1668年(寛文8年)に幕府天領となったためその陣屋も廃されました。現在城址には東根小学校が建てられており遺構は残っていませんが、城門が浄国寺に移築されています。本丸跡西側には推定樹齢1500年以上で国の特別天然記念物に指定されている「東根の大ケヤキ」があります。
東根城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
東根城へのアクセス情報 情報の追加や修正
東根地区公民館駐車場
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
各スポットの詳細な位置関係は 周辺地図で確認してください。
最寄りのバス停東根城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
東根城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
情報提供元:楽天トラベル
築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する