鶴ヶ岡城は江戸時代は庄内藩の藩庁となった城で、直江兼続、最上義光、酒井忠勝といった名だたる武将とかかわりがあります。もともとこの地に最初に城が築かれたのは鎌倉時代初期で、当時は大宝寺城と呼ばれていました。鶴ヶ岡城と改名されたのは1603年(慶長8年)、最上時代のことです。その後「最上騒動」により改易となったため、譜代大名の酒井忠勝が出羽庄内藩の初代藩主として入り、幕末まで酒井氏が城主をつとめました。現在、本丸・二の丸跡周辺は「鶴岡公園」として整備されており、桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれています。また、三の丸跡に残る酒井家御用屋敷跡庭園は酒井氏庭園として1976年(昭和51年)に国の名勝に指定されたほか、公園の南東に残る藩校「致道館」は東北地方に唯一現存する藩校として国の史跡に指定されています。
目次
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鶴ヶ岡城に関するデータ 情報の追加や修正
18.5 m
内郭:-- 外郭:--
酒井氏の時代には本丸北西隅に天守代用の二重櫓があった。
大泉氏(武藤氏)
着工 鎌倉時代初期
1871年(明治4年)
直江兼続、最上義光、酒井忠勝
武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏
土塁、石垣、堀、藩校、庭園
国史跡(藩校)、国の名勝(三の丸庭園)
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 輪郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 18.5 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 酒井氏の時代には本丸北西隅に天守代用の二重櫓があった。 |
築城主 | 大泉氏(武藤氏) |
築城開始・完了年 | 着工 鎌倉時代初期 |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 直江兼続、最上義光、酒井忠勝 |
主な城主 | 武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏 |
遺構 | 土塁、石垣、堀、藩校、庭園 |
指定文化財 | 国史跡(藩校)、国の名勝(三の丸庭園) |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:28:39
鶴ヶ岡城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり(無料)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり(無料) |
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