読み物 記事一覧

【現在1694城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧 注目 NEW!

全国で御城印や御朱印風の登場記念符を配布(販売)しているお城の一覧です。随時更新中で御城印情報がどこよりも詳しくまとまっています。 つづきを読む

【家康の謎】家康はどうして豊臣家を滅亡させたの? 注目 NEW!

公家として生きるか、徳川臣下の大名(武家)として生きるか、豊臣家または羽柴家として存続のチャンスはあったようにも思いますが、家康にしてみれば滅ぼしちゃったほうが「話が早い」と考えても不思議ではないですよね。 つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ江戸に幕府を開いたの? 注目

豊臣家がまだ存在していたから自分の縄張り(江戸=東国)を拠点にした、というのが実情なのでしょうね。関ヶ原後の論功行賞で豊臣系の大名を西に追いやったことを見ても、まずは東から地盤固めをしようと考えたのだと思います。 つづきを読む

【家康の謎】家康は関ヶ原の戦いで何割くらい勝てると思ってたの? 注目

神君家康による劣勢を挽回した大逆転勝利! というよりは老獪な家康が敵勢力を切り崩し、決戦前にほぼ勝利を確定させていた――というほうが史実に近そうです。もっともじっさいに小早川秀秋や吉川広家に対して寝返り工作をおこなったのは黒田長政らしいので戦後、家康からいちばんの功労者として褒められたとか。 つづきを読む

【家康の謎】家康は関ヶ原の戦いに出陣する前に江戸で誰にどんな手紙を出してるの? 注目

かつて秀吉が中国大返しの最中に大量に手紙を書き、信長生存の噂を流して撹乱していましたが、電話もネットもない時代において、手紙を出すこと、また手紙を駆使して情報戦を制することは大将の務めだったのでしょうね。そう考えると西軍には勝てるチャンスが十分あったんじゃないかなとも思えます。 つづきを読む

石川県立歴史博物館で開催中の特別展「御殿の美」を取材してきました

現在、石川県立歴史博物館で開催中の秋季特別展「御殿の美」を取材動画をアップしたので、その報告を兼ねてのレポート記事です。 つづきを読む

【家康の謎】家康が直江状に激怒したのは本当?

直江状が実在したのかどうかについてはぼくも怪しいと思います。なにしろ当時、兼続とやり取りした相手は家康ではなく西笑承兌なので、中指立てて宣戦布告とも取れる内容を書くはずがないので。 ただ神指城跡に行くと、兼続はやる気満々だなと感じずにはいられないんですけどね。 つづきを読む

【サイン本プレゼントあり】「おもしろすぎる家康の城図鑑」のご紹介

9月29日(金)に発売されたお城ガイドブック「おもしろすぎる家康の城図鑑」(KADOKAWA)を抽選で5名の方にプレゼントいたします! つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ石田三成を匿った? 七将襲撃事件は事実なのか?

七将襲撃事件は後世の創作だとして、多くの武将から殺したいほど嫌われている三成が最後に頼るのはさすが家康というストーリーを考えた人はすごい脚本家だなと思いました。機転が利く三成の有能さも表現できてますしね。 つづきを読む

【家康の謎】家康の領地の石高はどのくらいあった?

ちなみに信長の直轄領は100万〜150万石ほど、秀吉は200万〜220万石ほどと言われますが、いずれも金山・銀山を押さえていたので実質的な収入はそれ以上あったようです。その点は家康も同様で、石高だけでなく鉱山や港を支配することが重要でした。 つづきを読む

攻城団テレビで来年の大河ドラマ「光る君へ」の予習を兼ねた特別講義をしていただきました

来年の大河ドラマ「光る君へ」の予習を兼ねて、榎本先生に「藤原氏の誕生と道⻑・紫式部の時代」というテーマで、藤原氏の歴史と藤原道長や紫式部が生きた時代について教えていただきました。 つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ朝鮮出兵に参加しなかったの?

近年では家康も石田三成も秀吉の渡海を諫止するために協力しあったと考えられているそうですね。むしろ代わりに自ら渡海した三成の責任感や覚悟がすごいなと感じます。三成はほんとに優秀な人だと思いますが、こういう裏方の仕事ってなかなか評価されないんですよね。 つづきを読む

城葱さんの「城もなか」道中記【福山城編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは広島県の福山城。昨年リニューアルしたばかりなのでこれから訪問を計画されている方も多いと思いますが、ぜひお土産には城もなかを。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!! つづきを読む

【家康の謎】家康が関東に移ったときの江戸はどんな感じだった?

太田道灌が本拠にして、その後は北条氏の支配下にあった江戸の地が発展していないわけないのですが、近年まで寒村だと信じられてきたというのはおもしろい話ですし、まだまだ誤解されたままの歴史があるのでしょうね。 つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ五大老の筆頭に選ばれたの?

そもそも五大老(五人の衆)は秀吉の死の直前に制度化されたもので、そのメンツも秀次事件後に連署したメンバーでした。当時は小早川隆景が5人に入っており、彼の死後に上杉景勝が加わっています。 秀吉は家康と利家を特段重視していたようで、ふたりが死去や病気になった場合は嫡男である秀忠・利長がメンバー入りすることも決めていたようです。 つづきを読む
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今日のレビュー

図解 戦国史 大名勢力マップ 詳細版 増補改訂版 ([テキスト])

戦国時代約130年間の勢力図の変遷を分かりやすくビジュアル化してある。
歴史的な流れだけでなく、大きな戦に関しては、各軍の進行状況や布陣の様子もビジュアル化されているため、
実際に攻城した際にどこに敵の軍勢がいて、どう攻めてきたのかが分かりやすい。
戦国時代を俯瞰できる良書。

玄之丞さん)

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