読み物 記事一覧

【家康の謎】家康は関ヶ原の戦いに出陣する前に江戸で誰にどんな手紙を出してるの?

かつて秀吉が中国大返しの最中に大量に手紙を書き、信長生存の噂を流して撹乱していましたが、電話もネットもない時代において、手紙を出すこと、また手紙を駆使して情報戦を制することは大将の務めだったのでしょうね。そう考えると西軍には勝てるチャンスが十分あったんじゃないかなとも思えます。 つづきを読む

石川県立歴史博物館で開催中の特別展「御殿の美」を取材してきました

現在、石川県立歴史博物館で開催中の秋季特別展「御殿の美」を取材動画をアップしたので、その報告を兼ねてのレポート記事です。 つづきを読む

【家康の謎】家康が直江状に激怒したのは本当?

直江状が実在したのかどうかについてはぼくも怪しいと思います。なにしろ当時、兼続とやり取りした相手は家康ではなく西笑承兌なので、中指立てて宣戦布告とも取れる内容を書くはずがないので。 ただ神指城跡に行くと、兼続はやる気満々だなと感じずにはいられないんですけどね。 つづきを読む

【サイン本プレゼントあり】「おもしろすぎる家康の城図鑑」のご紹介

9月29日(金)に発売されたお城ガイドブック「おもしろすぎる家康の城図鑑」(KADOKAWA)を抽選で5名の方にプレゼントいたします! つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ石田三成を匿った? 七将襲撃事件は事実なのか?

七将襲撃事件は後世の創作だとして、多くの武将から殺したいほど嫌われている三成が最後に頼るのはさすが家康というストーリーを考えた人はすごい脚本家だなと思いました。機転が利く三成の有能さも表現できてますしね。 つづきを読む

【家康の謎】家康の領地の石高はどのくらいあった?

ちなみに信長の直轄領は100万〜150万石ほど、秀吉は200万〜220万石ほどと言われますが、いずれも金山・銀山を押さえていたので実質的な収入はそれ以上あったようです。その点は家康も同様で、石高だけでなく鉱山や港を支配することが重要でした。 つづきを読む

攻城団テレビで来年の大河ドラマ「光る君へ」の予習を兼ねた特別講義をしていただきました

来年の大河ドラマ「光る君へ」の予習を兼ねて、榎本先生に「藤原氏の誕生と道⻑・紫式部の時代」というテーマで、藤原氏の歴史と藤原道長や紫式部が生きた時代について教えていただきました。 つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ朝鮮出兵に参加しなかったの?

近年では家康も石田三成も秀吉の渡海を諫止するために協力しあったと考えられているそうですね。むしろ代わりに自ら渡海した三成の責任感や覚悟がすごいなと感じます。三成はほんとに優秀な人だと思いますが、こういう裏方の仕事ってなかなか評価されないんですよね。 つづきを読む

城葱さんの「城もなか」道中記【福山城編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは広島県の福山城。昨年リニューアルしたばかりなのでこれから訪問を計画されている方も多いと思いますが、ぜひお土産には城もなかを。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!! つづきを読む

【家康の謎】家康が関東に移ったときの江戸はどんな感じだった?

太田道灌が本拠にして、その後は北条氏の支配下にあった江戸の地が発展していないわけないのですが、近年まで寒村だと信じられてきたというのはおもしろい話ですし、まだまだ誤解されたままの歴史があるのでしょうね。 つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ五大老の筆頭に選ばれたの?

そもそも五大老(五人の衆)は秀吉の死の直前に制度化されたもので、そのメンツも秀次事件後に連署したメンバーでした。当時は小早川隆景が5人に入っており、彼の死後に上杉景勝が加わっています。 秀吉は家康と利家を特段重視していたようで、ふたりが死去や病気になった場合は嫡男である秀忠・利長がメンバー入りすることも決めていたようです。 つづきを読む

【家康の謎】家康はどうして関東に行かされたの?

家康が入封した江戸は寒村だったという説は現在完全に否定されていますが、それでも土地との結びつきが強かった徳川家臣団にとっては厳しい処置だったと思います。秀吉は井伊直政や本多忠勝などの領内配置についても細かく指示を出したそうで、家康にとっても雌伏の期間だったのでしょうね。 つづきを読む

【家康の謎】三河譜代ってなに?

徳川家臣団において古参が幅を利かせる、みたいなことがどれほどあったのかはわかりませんが、井伊直政が四天王に数えられるほどの扱いを受けたことを見ても(寵童だったかはさておき)それなりに実力主義が浸透していたようにも思えます。むしろ家臣団が巨大化していく上で、しがらみの強い古参の譜代家臣を牽制していたのかもしれませんね。 つづきを読む

【家康の謎】家康はなぜ上田城の戦いで自ら出陣しなかったのか?

表裏比興の者として知られる真田昌幸に徳川軍は敗退します。だったら家康自ら指揮をとり、上田城を攻略すれば勝てたのではと思うのですが、状況がそれを許さなかったということでしょうか。ここで家康が出陣していれば歴史は変わったと思うんですけどね(家康討死の可能性もありますが)。 つづきを読む

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】読者からの質問とその回答

連載中からたくさんの質問が届きましたので、時田学芸員に回答していただきました。ぜんぶで18000字におよぶ、読み応えたっぷりの質疑応答となっていますので、ぜひお読みください! つづきを読む
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今日のレビュー

戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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