棚倉城は丹羽長秀の長男、丹羽長重によって築かれた城です。幕末には阿部正静が城主をつとめており、棚倉藩は奥羽越列藩同盟に加盟したため、1868年(慶応4年)に勃発した戊辰戦争で板垣退助の率いる官軍800名の攻撃によりわずか1日で落城しました。現在、本丸および水掘が亀ヶ城公園として整備されており、本丸の堀、土塁がきれいに残存しています。石垣も一部、棚倉中学校グラウンド脇に現存しています。建築遺構としては近隣の長久寺に南門が移築されています。そのほか城跡の大ケヤキは福島県指定天然記念物に指定されています。また、毎年4月中旬の週末に「十万石棚倉城まつり(桜まつり)」が開催されています。
棚倉城を訪問した295人の報告によれば、平均見学時間は40分、平均評価は3.38点となっています。
棚倉城は棚倉藩の藩庁です。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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