棚倉城
棚倉城

[福島県][陸奥] 福島県東白川郡棚倉町


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.30(--位)
  • 見学時間:36分(--位)
  • 攻城人数:250(431位)

棚倉城跡の案内板

棚倉城跡にある亀ヶ城公園に建てられている案内板の内容です。

棚倉城跡
 二代将軍徳川秀忠は、丹羽五郎左エ門長重に命じて、棚倉に平城を築かせた。
 長重は案を練り、この地にあった近津神社の神境を最適地とし、宮を現在の馬場都々古和気神社に移し、寛永2年、この地に築城をはじめた。
 寛永4年、長重は白河に移されたが、代わって滋賀県近江山城より内藤豊前守信照が城主となった。
 阿部美作守正静の代になり、戊辰戦争の兵火にかかり、慶応4年6月24日落城した。
 この間250年、城主の代わること16代であった。棚倉町
棚倉町観光協会
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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