後瀬山城は若狭守護武田氏の居城として知られています。朝倉氏滅亡後は織田信長の家臣である丹羽長秀が入城し、このときに石垣づくりの城に改修されました。安土城に習い、天守も造営されたという言い伝えもあります。その後は豊臣秀吉の一族である浅野長政や木下勝俊が城主をつとめ、江戸時代には「関ケ原の戦い」の論功行賞により若狭一国を与えられた京極高次が入りました。小浜城の築城が進まなかったため、京極氏の時代まで若狭支配の居城として使われました。藩主が酒井氏に代わり、小浜城が完成した1642年(寛永19年)に廃城となりました。現在も石垣や空堀など、城の基礎部分の遺構は良好に保存されています。
後瀬山城を訪問した222人の報告によれば、平均見学時間は1時間9分、平均評価は3.22点となっています。
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後瀬山城に関するデータ 情報の追加や修正
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168 m( 160 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
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丹羽長秀の時代に天守が造営されたと言い伝えられている。
武田元光
着工 1522年(大永2年)
1601年(慶長6年)
丹羽長秀
若狭武田氏、丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊、京極氏、酒井氏
曲輪跡、堀切、土塁
国史跡
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登録日:2014/10/25 19:59:54
更新日:2025/01/18 12:58:16
後瀬山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり
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