岩槻城は1457年(長禄元年)に太田道真・道灌父子がはじめて築城したといわれていましたが、近年では、忍城主・成田親泰の祖父にあたる成田資員が築城したとする説も有力で、築城者と築城年については定かではありません。元荒川を天然の外堀として利用した総曲輪(惣構え)の縄張りで、扇谷上杉氏と古河公方足利氏の領地の境目に築かれた最前線の城として活用されました。16世紀後半までは太田氏が城主でしたが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原討伐で落城して以降、有力な譜代大名の居城となりました。江戸時代には、江戸北方面の守りの要衝として重要視されていたようです。現在は岩槻城址公園として整備されており、黒門と裏門が移築されているほか、当時の土塁がいまでも残っています。また桜の名所としても知られています。
目次
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14.5 m
内郭:-- 外郭:--
天守はなかったが、天守代用の櫓として本丸に2重2階の瓦櫓があった。
成田正等または太田道真・道灌
着工 1478年(文明10年)または1457年(長禄元年)
1871年(明治4年)
後北条氏
成田正等、成田顕泰、渋江楽王、太田資正、北条氏房、高力清長、大岡氏
移築門(黒門、裏門)、土塁、曲輪、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 14.5 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 天守はなかったが、天守代用の櫓として本丸に2重2階の瓦櫓があった。 |
築城主 | 成田正等または太田道真・道灌 |
築城開始・完了年 | 着工 1478年(文明10年)または1457年(長禄元年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 後北条氏 |
主な城主 | 成田正等、成田顕泰、渋江楽王、太田資正、北条氏房、高力清長、大岡氏 |
遺構 | 移築門(黒門、裏門)、土塁、曲輪、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/19 14:29:10
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項目 | データ |
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駐車場 |
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