益富城は永享年代に大内盛見が築城したといわれています。日田街道と長崎街道を結ぶ交通の要衝であったことから、大内氏・大友氏などによって激しい争奪戦が繰り広げられました。一時は毛利元就が領有し、城番として杉忠重を置いています。また、戦国時代末期には、古処山城を本拠とする秋月氏の支城のひとつでした。その後、「関ケ原の戦い」の功績により筑前国を与えられた黒田氏の時代には「筑前六端城(ちくぜんろくはじろ)」のひとつとして、益富城は当時対立していた細川氏との国境にあることから重視され、後藤又兵衛基次が城主をつとめています。のちに基次が出奔したあとには母里太兵衛友信が城主となりましたが、1615年(元和元年)に発布された一国一城令により廃城となりました。市内の善照寺には大手門、麟翁寺には搦手門が移築されています。
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188 m( 150 m)
内郭:-- 外郭:--
大内盛見
着工 永享年間(1429年〜1441年)
1615年(元和元年)
秋月種実、後藤基次
大内氏、杉忠重、秋月氏、早川長政、後藤基次、母里友信
搦手門(移築)、石垣、堀、曲輪
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 188 m( 150 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 大内盛見 |
築城開始・完了年 | 着工 永享年間(1429年〜1441年) |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 秋月種実、後藤基次 |
主な城主 | 大内氏、杉忠重、秋月氏、早川長政、後藤基次、母里友信 |
遺構 | 搦手門(移築)、石垣、堀、曲輪 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/05/21 03:29:33
項目 | データ |
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アクセス(電車) | |
アクセス(クルマ) | |
駐車場 |
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