麻底良城は黒田六端城のひとつで、栗山利安が城主をつとめました。もともとは古処山城主・秋月種実が豊後の大友氏に備えて日田街道を押さえる要衝に築いた城で、1581年(天正9年)の原鶴合戦ではここを拠点に日田へ攻め込みました。1586年(天正14年)の豊臣秀吉による九州征伐で種実は降伏し、筑前は小早川隆景に与えられたため、仁保隆康が城主になりました。現在本丸跡には麻底良神社上宮社殿があります。登山口にある普門院(普門密院)は隆景や利安によって修復された寺です。また山麓の円清寺は黒田官兵衛(黒田孝高)が死去した1604年(慶長9年)にその冥福を祈るために利安によって建立された寺院で、黒田如水・長政・栗山利安の位牌が安置されています。
目次
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294.9 m( 230 m)
内郭:-- 外郭:--
秋月種実
1615年(元和元年)
喜津瀬因幡、喜津瀬主水、仁保隆康、伊藤雅楽介、栗山利安
曲輪、石垣
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 294.9 m( 230 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 秋月種実 |
築城開始・完了年 | |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 喜津瀬因幡、喜津瀬主水、仁保隆康、伊藤雅楽介、栗山利安 |
遺構 | 曲輪、石垣 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/08 03:36:27
項目 | データ |
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アクセス(電車) | |
アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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