別名 高取山城、鷹取城
鷹取山城は「黒田六端城」のひとつとして家臣の母里太兵衛友信が城主をつとめた城です。筑前と豊前の国境にあるため、筑紫氏、菊池氏、大友氏、大内氏などの勢力が激しく争った城でもあります。益富城主の後藤又兵衛基次が逐電したことにともない、友信は益富城に移り、代わって手塚光重が城主となりましたが、元和の一国一城令によって廃城となりました。城址への登山口は白糸の滝などがある上野峡(南側)、または福知山ダム(北側)のところにあります。また、当時の城下町である山麓の永満寺地区には友信の屋敷跡が残っています。
目次
鷹取山城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
鷹取山城に関するデータ 情報の追加や修正
633 m( 560 m)
内郭:-- 外郭:--
永井宗久
着工 1046年(永承元年)
1615年(元和元年)
黒田長政
永井宗久、少弐頼直、筑紫氏、岡部彦右衛門、毛利鎮実(大友氏)、筑紫広門(大友氏)、母里友信(黒田氏)、手塚光重(黒田氏)
曲輪、石垣、畝状竪堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 633 m( 560 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 永井宗久 |
築城開始・完了年 | 着工 1046年(永承元年) |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 黒田長政 |
主な城主 | 永井宗久、少弐頼直、筑紫氏、岡部彦右衛門、毛利鎮実(大友氏)、筑紫広門(大友氏)、母里友信(黒田氏)、手塚光重(黒田氏) |
遺構 | 曲輪、石垣、畝状竪堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/03 03:36:26
鷹取山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
|
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
鷹取山城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する